【歴史】時代別のS●Xについて語ってみようぜ

1 :日本@名無史さん2012/03/31(土) 18:51:00ID:
各時代のSEXについて語りましょう
8 :日本@名無史さん2012/04/03(火) 20:26:47ID:
春画をみると普通にシックスナインもしてるし、前戯のクリ弄りもしてるし、パイパンロリともしてるし
少なくとも江戸時代中期あたりではエロずりねたニーズは今のAVと変わらないよう
大蛸と♀が絡む今のSOD企画モンのようなのもある
江戸は職人になりたくて出てきた地方農家出身の若者が多く、若い女より若い男の人口がかなり余分に多かったそうな
平成(後期?)の今と似てるかも
風俗とお手軽ずりねたものはいい商売になったと思われる
室町とか鎌倉とか平安のころはワカラン
奈良時代まで行くと古事記にはセクロス記述が多いから、逆に少しわかりやすくなるようだ
9 :日本@名無史さん2012/04/03(火) 23:42:27ID:
室町は、小坊主を相手にしたホモねたのほうがおおいだろうと
10 :日本@名無史さん2012/04/04(水) 11:56:51ID:
>>9
嫁取り婚の確立期だからね。男女の仲は物語になりにくい。
11 :日本@名無史さん2012/04/08(日) 22:32:17ID:
農村なんか古代からフリーセックス
13 :日本@名無史さん2012/04/09(月) 23:30:58ID:
農村地帯特有の奔放な男女関係、

住宅地図を開くと一目だが隣近所が皆同姓という濃い血縁関係の集落、

東京オリンピックを翌年に控えた好景気の中、東京の衛星都市として急発展し地価も急騰する農村、
その中に芽生えた遺産相続にまつわる近親憎悪、
この事件の背景は横溝正史の小説がくりかえし描くところと全く同じものである。
彼の小説がいつの時代も読者を魅了するように、この事件の真相もまた人類に普遍的な問題を孕んでいるのだ。


これが日本の農村の風俗


30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査したとき、
飲み屋のママが「「毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る」」 とこぼしていた。
徳山など西日本の閉ざされた村では、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。

 女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。
これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。
これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。

 当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。
若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。
14 :日本@名無史さん2012/04/09(月) 23:31:33ID:
夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。
どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。
子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。
村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、
餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。
そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。 
やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、
共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、
1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。

できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、
共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。
15 :日本@名無史さん2012/04/09(月) 23:32:04ID:
「夜這い」

 筆者は若い頃から民俗学が大好きで、宮本恒一の熱狂的ファンを自認し、その真似事をしながら、山登りの途中、
深い山奥の里を訪ねて、その土地の人と世間話をしながら、新しい民俗的発見をすることを楽しみにしていた。

 かつて、揖斐川の上流に徳山郷 という平安以前に起源を持つ古い村があって、
その奥に能郷白山や冠山という奥美濃山地(両白山地)の名峰があり、このあたりの山深い雰囲気に惹かれて何度も通った。
今は無意味な形骸を晒すのみの巨大なダム底に沈んだ徳山の里は、筆者の足繁く通った1970年代には、
いくつかの立派な集落があり、春から秋までは渓流釣りマニアでずいぶん賑わったものだ。

 そのなかに、名古屋からUターン里帰りした中年女性の経営する小さな飲食店があった。
そこでよく食事をして世間話に興じながら、おばちゃんに村の事情を聞いていたが、実におもしろい話がたくさんあった。

 一番凄いと思った話は、近所の農家の中学生の娘が妊娠したことがあったが、その相手は祖父だったという。
しかし、当時の徳山では、この程度は全然珍しいものでなく、ありふれていると言ったことの方を凄く感じた。

 夜になると近所の若者が飲みにくるが、必ず店仕舞のときまでいて「やらせろ!」としつこく強要し、
うっとおしくてかなわないという話や、この村では後家女性がいれば、
婿入り前の若者たちの性教育係を務めるのが村の伝統的義務とされているというような話も驚かされた。

 参考までに、昔の性事情を知らない若者たちに言っておくが、戦前の日本では、
とりわけ西日本における古代弥生人の末裔たちの里にあっては、
国家によって定められた一夫一婦制結婚形態というのはタテマエに過ぎず、それが厳格に守られた事実は存在しない。
つまり適当なものであった、というより、民衆レベルでは自由な乱交が当たりまえであって、
生まれた子供が自分の子供である必要はなかった。
16 :日本@名無史さん2012/04/09(月) 23:32:32ID:
 というと、ほとんどの若者たちが「ウソー!」と驚くに違いないが、これが真実なのだ。
例えば一番典型的だった中国山陽地方の集落では、一つの集落で、結婚まで処女を保つ娘は皆無だった。
初潮が始まると、親が赤飯を炊いて近所の若者宅に配る。それが「おいで」の合図となる。
その日から娘は離れの座敷に寝泊まりするのである。

 これは、山陽地方(西日本の古い農家といってもいい)の古い農家の作りを見れば分かる。
必ず夜這いのための娘の泊まり部屋が設けられていたはずだ。
古い民俗家屋展示を見るときは、昔のこうした光景を見るのだ。
すべての構造に歴史の深い意味が隠されていると知ってほしい。

 若者の男たち、ときには、なりすましの親父たちも、赤飯の出た家に夜這いをかけて、
初々しい少女を抱いて性欲を満足させたわけで、これなら風俗性産業が必要なはずがない。
昔だって男たちに強烈な性欲があった。
それが、どのように処理されていたか? 考えながら、赤線・性産業の由来・必要性を考えるのだ。

 夜這いの結果、もちろん子供ができてしまうわけだが、生まれた子供が誰の子であっても、事実上関係ない。
子供の父親を指名する権利は娘にあった。別に実の父親である必要はなかった。
夜這いをかけた誰かの内、一番好きな男を父親に指名するのである。これが、やられる側の娘の権利であった。

 夜這いを拒否することは、男にとって大きな屈辱だった。
そんなことをすれば後々まで男に恨まれて「八つ墓事件」のような事態が起きかねない。
津山殺戮事件の裏には、こんな背景も考える必要がある。

 父親を特定することが意味を持つのは、子供たちに受け継がせるべき財産・権力のある有力者に限られていて、
持たざる民衆にあっては、受け継がせるべきものもなく、名もない我が子種を残す必要もなく、したがって、
女房が誰の子を産もうと、どうでもよいことなのである。

 生まれた子供は「みんなの子供」であった。集落全体が一つの大家族だったのだ。
みんなで助け合って暮らし、みんなで子供を育てたのであって、小さな男女の家族単位など、
権力が押しつけたタテマエ形式にすぎなかった。
17 :日本@名無史さん2012/04/09(月) 23:33:01ID:
 タテマエとしての結婚家族制度は、明治国家成立以降、政権が租税・徴兵目的の戸籍制度整備のために、それを強要したのである。

 それは権力・財産を作った男性の子供を特定するための制度であった。
それは名主・武家・商家・有力者などの権力・財産を「自分の子供に受け継がせたい」インテリ上流階級にのみ意味のあることであり、
このために女性を婚姻制度、貞操に束縛したのである。

 農民をはじめ一般大衆にとっては、束縛の多い不自由な一夫一婦制など何の意味もなく、たとえ配偶者がいても、
誰とでも寝るのが当然であり、生まれた子供は「みんなの子供」であって、集落全体(大家族)で慈しんで育てたのである。

 このようにして、かつての日本では夜這いに見られるような自由な性風俗に満ちていた。
「集落全体が大家族」という考え方で助け合い社会が成立していて、夫を失った後家は、若者たちの性教育係になり、
冒頭の飲食店のオバサンも、徳山の若者たちから、そのように見られていたわけで、決して徳山の若衆が性的変態だったわけではない。

 そうした自由な性風俗は1960年あたりを境にして、急速に失われていった。
その後、読者が知っているように、女性に貞操観念が求められるようになった理由は、世の中全体が豊かになり、
個人が財産を蓄積する時代がやってきたことによるのである。

 豊かになれば財産を「自分の子供」に相続させたくなる利己主義が芽生えるのである。
「自分子供」を特定するために、誰の子かはっきりさせる必要があり、女性の自由な性を抑圧し、
貞操観念に閉じこめる必要があった。
19 :日本@名無史さん2012/04/19(木) 21:43:56ID:
2. 本当は怖かった日本の農村

世間には「犯罪とは都市で起こるものであり日本古来の農村地帯は牧歌的で秩序だっていて、
近代の都市部とは違い平和で犯罪はなかった」という誤解があります。
しかし、そういう閉鎖された農村地帯とか地方コミュニュティーというのは実は陰鬱でおかしな犯罪の温床でもあったのです。

例えば、間引き、夜這い、村八分、村の権力者による暴行、強姦、犬神や狐憑き殺人のような迷信や因習に縛られた暴行事件、
実は殺人事件であった神隠しなど犯罪行為はゴロゴロありました。

まあ村の女性がレイプ同然に暴行されてたり、村のある一家が村八分で酷い目に合わされたり、
嬰児が大量に間引きで処理されても、お上には訴えられず表立った犯罪にはなりにくいということはありますけどね。

「昔は村や地元の秩序状態が犯罪にはなりにくい犯罪を誘引していた」が正解です。

ただ、夜這いについては現代では少々、誤解があり、
まるで村の女性が村の男に有無を言わさずレイプされてしまうよう言われてますが、
実際は当時の独身女性には貞操観念などなく、しかもセックスは最大の楽しみであり、

村の女性たちは「村の男が私を悦ばせにやってくる」と夜ワクワクして床についたそうです。

薩摩だったかの逸話に村の男が男色に耽り女性とのセックスをサボりだしたのに怒った女性たちが、
男たちが集まって男色している所に殴りこんで乱闘になったという逸話すらあります。
20 :日本@名無史さん2012/04/19(木) 21:44:30ID:
「当時の村の女は夜這いによって無理矢理犯された哀れな性奴隷であった」
という現代の誤解は「女性が自分の意思でセックスを求めるわけがない」という歪んだ女性像から来ています。

第二に女性の側にちゃんと自分の体調や相手によっては拒否権があり、
もしも、それを破って強引な夜這いに及んだ男は村八分などの制裁を受けます。
つまり夜這いは「村の男女の性の捌け口であり最大の娯楽」という男女共に楽しめる平等なものでした。

しかし、これもあくまで過去の時代の話しで現代では夜這いは一般的風習にそぐわない単なる犯罪行為になってしまったのも事実です。
夜這いの習慣の名残は各地でトラブルを生みました。

例えば単なる旅行者の女性が村の若者に村の夜這いの習慣によって集団レイプされた事件とか
南九州で東京から来ていた女性が地元の男に略奪婚の習慣で拉致されて、
親子ともども「うちにもやっと嫁さんが来た」と泣いて喜んだ事件とか表立った騒ぎになった事件がいくつもありました。

あと名張毒ブドウ酒事件とか津山三十人殺しも動機は夜這いのもつれらしく、陰鬱な農村型犯罪です。

他に月ヶ瀬村の殺人や殺人事件とは思いにくいですが「便層で死んだ男」事件などもそのカテゴリでしょう。
21 :日本@名無史さん2012/04/20(金) 20:08:07ID:
貧しいのにSEXばかりして子供が生まれて間引きして殺しまくってました
22 :日本@名無史さん2012/04/20(金) 20:14:30ID:
少なくとも少子化という問題に悩むことはなかった
23 :日本@名無史さん2012/04/24(火) 10:53:39ID:
間引きは7歳までは殺して神に返しても良いって悲しいですね
24 :日本@名無史さん2012/04/27(金) 09:39:38ID:
徳山の性事情は興味深いですね。雪国の農家じゃないから、農産物は豊富にあったんかな?
と、したら子供たちも働き手の一員になるから、扶持さえ確保出来てたとすると、間引きと言う悲劇もなかった?かも…
25 :日本@名無史さん2012/04/28(土) 00:13:25ID:
>>23
7才までは…、あんまり働き手にならんからかな。
悲しいね。
26 :日本@名無史さん2012/04/28(土) 01:52:20ID:
分別がつくまでの子供は神様と同一視されてたらしいよ
27 :日本@名無史さん2012/04/28(土) 04:42:43ID:
7歳までは人間になるかならないかみたいな感じで考えるから殺して神に返してまた生まれ変わってねって事らしい
でも間引きする時は生まれてすぐに殺すみたいですね
28 :日本@名無史さん2012/04/29(日) 15:34:56ID:
やっぱり年貢が圧迫してたんでしょうか。
縄文時代なんかやったら、ピンはねなしの実利だけで、働き手が増える方がありがたそうな気もしますよね。

むしろ、子供に仕事を教えて実習しながらピンはねできるのか。

それにしても、我が子を間引くのは現代人からしたら厳し過ぎますね。
29 :日本@名無史さん2012/04/29(日) 19:22:06ID:
今みたいに干害、寒害に強い農作物ばかりじゃないし。
30 :日本@名無史さん2012/05/04(金) 03:08:11ID:
侍なら町娘や農民の娘をレイプしても大丈夫だったのでしょうか?
夜這いに来たら断れなかったという話を聞いたことがあるので
39 :日本@名無史さん2012/06/08(金) 19:37:18ID:
米は環境の変化に収量が影響されやすい作物だからな
調子いい時はどんどんとれて、人もどんどん増えるが
一年、寒冷や日照りだったりするととたんに飢餓が蔓延する
近代以前にメイン作物にコメを選ぶということは、飢餓は避けられない運命を背負うということ

子供の間引きは別に現代でもふつうのコトだろ、コンドームペッサリー ピルオギノ式パイプカットそして中絶、子捨て
妊娠しないSEXの方法が充実しているだけで、本質は変わってない
福祉に多大な税金かけてるから、給食費滞納しても、子供を手放すなんて事態にはならいしな
43 :日本@名無史さん2012/07/05(木) 00:04:18ID:
殿様は複数プレイとか倫理的にオッケーだったのか?
44 :日本@名無史さん2012/07/11(水) 01:12:02ID:
家光は何人ものお気に入りの小姓と一緒に湯殿で戯れていたゼッ!!!

だから、男性同士なら複数で性行為することも珍しく無かったのサッ!!!!!

分かったナッ!!!!!!!
46 :日本@名無史さん2012/12/29(土) 18:43:16ID:
妻問い婚の名残で部屋にいる女を殿様が尋ねるというしくみだから、
他の女は一人寝
身分の低い遊び女の場合は複数もあったんでしょうか?
47 :日本@名無史さん2012/12/30(日) 06:31:40ID:
家光って側室のアソコに挿入しながら
男前の若侍とキスしたり乳首なめさせてたんだろ
しかも側室には布団かけて見えないように
工夫しないと家光は萎えてしまったんだよな
子作りに大変な知恵が必要だった。
51 :日本@名無史さん2013/02/26(火) 15:11:32ID:
ある年齢になれば村の衆があそこの女とあいつ男とくっつけろと親はもちろんじっちゃん・ばっちゃん・となりのおばちゃん方が一生懸命にやってくれたものだ。
普通に働きにつき頭がいかれてなきゃ。男と女を本人の意思と別にくっつけたもんだ。
それが見合いというものだ。見合いしていやだったらやめればいいとか言いながら見合いをさせてんだが見合いをすればほぼ一緒にさせられた。
恋愛での結婚って方がめずらしい時代。結婚式まで嫁の顔見てないとかざら・・
そんな環境だと年頃の男・女はきちんとsexをしていた・・だから出生率も高かかったまっ。娯楽がなんにもなかったからな。
それにつれ今の若者は・・・
いくつにもなって童貞というのが・・・なよなよで頭でっかっちで風俗しか相手にしてないとか・・・・・多すぎる・・
こんなじゃだめだな
52 :日本@名無史さん2013/02/26(火) 16:32:32ID:
>>49>>50
その高貴で清浄な男が全員、
生理の血を栄養として10月10日女の子宮で育ち、
女の股から血まみれで生まれてくる事実は
どうするの?
53 :日本@名無史さん2013/02/28(木) 03:51:56ID:
そうはいっても、そんな貴族ですら、産所はけがれだと別の棟を立てたぐらいだからな。
54 :日本@名無史さん2013/03/02(土) 15:08:00ID:
出産をなぜけがれたものと見ていたんだろう?
めでたい事なのに・・
55 :日本@名無史さん2013/03/02(土) 17:36:23ID:
>>53
女が汚いから別棟建てたんじゃなくて室内が出産の血で汚れると洗浄に苦労
+もがき苦しみ泣き叫ぶ姿を男に見せないのが女の嗜みだったからだろ

貴族は別棟たてた?「紫式部日記」を読むと、中宮彰子は室内で出産しているぞ。
御簾を隔てたすぐ外には藤原道長も待機していて、生まれたての皇子を見ている。
「栄花物語」でも皇后定子は室内で出産し、産中に後産がないまま息が絶えたので
御簾の外で待っていた兄弟の伊周と隆家が驚いて御簾の中に入っている。
57 :日本@名無史さん2013/03/03(日) 21:19:59ID:
産道は黄泉比良坂に比定される存在だからじゃないの。
あの世とこの世が出産によって繋がれるからとか。

ちなみに生理は昔は赤不浄と呼ばれていました。
ttp://funabenkei.daa.jp/yononaka/zakkan/kegare.html
60 :日本@名無史さん2013/03/04(月) 14:46:16ID:
赤不浄くらい辞書にも出ている。
リンク先は説明が適当だから貼ったんだが。
直リンもしていないしな。

まあ穢れとして扱われたことが無いというならとりあえず根拠を示して見なさいな。
61 :日本@名無史さん2013/03/04(月) 15:33:55ID:
>>60
神道では出産も穢れ、死も穢れ、セックスも穢れ。
生理も穢れ、精液も穢れだよ。
斎宮や斎院は男の精液を受け入れたことのない処女に限られたし、
親兄弟の喪に服している間は男女ともセックスしてはいけなかった。
ちなみに江戸時代の将軍は歴代将軍の命日にセックスしてはいけなかったが、
たとえば家康は4月17日死去なので毎月17日には性交禁止であり、
幕末の将軍になると月の半分ぐらいが禁欲日になっていた。
62 :日本@名無史さん2013/03/05(火) 14:56:20ID:
処女しかワイン用のぶどうを踏む事を許されなかった頃は・・
男を知った女はけがれているという事か?
けがしたのは男なのに・・・

男本位の考え方があるからいけない
女だっていい男・経済力のある男・やさしい男・男らしい男とかつづっていくと結局は自分につごうの良い男ということになる
まっ。男もそうだが・・

金もなくsexしか娯楽のないころはsexだけして子供がごろごろできたんだろうな
戦前の兄弟なんて5〜6人はあたりまえだったろう
63 :日本@名無史さん2013/03/05(火) 15:54:26ID:
それをいうならそもそも男は初めから葡萄を踏むことを許されていないじゃん。
酒の始まりは口で噛んでそれを吐き出し醸す事だったらしいが、乙女とおっさん
の口噛み酒、どちらかを飲めと言われたらどちらが良い?

それと巫女さんは基本的に神様の嫁だから他の男の精を受けたのは嫌われて当然。
・・・と言いながら古くは巫女さんは売春も業務の一つだったんだけど。

貞操感が高まったのは仏教の伝来とかキリスト教の流入とか外様の宗教を契機に
高まっている事が多い。
妻問婚なんか夜這いは当然だし穢れもくそもない。
64 :日本@名無史さん2013/03/05(火) 18:35:02ID:
女が主導権を握った方が何事もうまくいく
ていうかでないとsexはできない
女の方が偉いんだ
男はくずで童貞が多いんだが女はsex嫌いかよほどのブスじゃなきゃ処女は少ない

しかし童貞男が増えたよな。
65 :日本@名無史さん2013/03/05(火) 18:58:09ID:
馬鹿言え。
必ずしもそうとは言えないが、男は利害で戦うけど女は感情で戦うことが多い。
収拾がつかなくなるのは女の方。
66 :日本@名無史さん2013/03/06(水) 01:47:55ID:
男は女・子供のために奴隷のごとく働く
働かなきゃだめなんだよ
67 :日本@名無史さん1970/01/01(木) 00:00:00ID:
むかしのSEXについて考えるときにいつも思うんだが、
清潔な水道水がなかった時代って、たいへんだよなあ……
68 :日本@名無史さん1970/01/01(木) 00:00:00ID:
戦国時代は、暖色も盛んだというが…
ちんこ、どうやって洗っていたんだ?
うんこついたちんこねじ込まれる奥さんも、結構大変だろうし
70 :日本@名無史さん2013/09/20(金) 19:55:23ID:
初潮を迎えた娘への試し腹・老人子ども同士の乱交 西日本に根強く残る夜這いの風習





村八分と並び、かつての農村の掟としてよく語られるのが「夜這いの風習」だろう。
各地方の夜這いの取材を続けてきたフリーライターの石川清氏は言う。

「伝統的な夜這いは、私が知っている限り、岡山などで昭和50年代まで残っていたのが
ほぼ最後でしょう。日本では今ではほとんどみられなくなりましたが、昔は『性教育』、
『相互扶助』『ハレ(欲求やストレスの発散)』のため、村の生活システムに組み込まれて
いたものが少なくありません」
 例えば九州北部のある集落では、元旦の除夜の鐘が鳴り終わる頃に、老人、若者、
子供が裸で神社の境内に集い、年に一度の“性の無礼講”に発展することも多かったという。
また別の集落では、神社の祭りの日に近所の男女が行き合って、知る知らぬにかかわらず、
情を通じ合ったとか。なかには新聞沙汰になったケースもあり、戦後しばらくこの風習は続いたという。
「本州の太平洋側や沖縄などでは、女性が15、16歳になると、村の男の夜這いを受けやすく
するため、家の表に面した部屋にわざわざ住まわせた地域があった。また中国地方では、
初潮を迎えた娘の初めての性の相手として、裕福で人望の厚い年配の男性に手ほどきして
もらう慣習もあった。紀州では、娘が13、14歳になると 、年配者に頼んで“女にしてもらう”、
一種の性教育の慣習があった。この時、娘の親がお礼に相手となった老人へ米と酒と桃色
のふんどしを贈ったそうです」
一方で、飢饉のときには、娘や妻を食糧と引き換えに、村内の人間等に差し出す風習も
近年まであったのでは、と石川氏は言う。
「中国地方や北関東、信州などの山間の村はずれには『助平屋敷(岡山)』という、博奕や
酒食を手軽に楽しむ場所があり、自分の女房や娘までも博奕のカタにして、負けた相手の
女房らを屋敷裏に連れだして手軽に性欲を満たす習慣も昭和初期までありました」
 現在では考えられない風習が、かつての日本には存在したのだ。
72 :日本@名無史さん2013/10/07(月) 01:17:49ID:
下野地方・・今の栃木ね

日本の中で近親相姦がもっとも盛んな地域だった
76 :日本@名無史さん2013/11/07(木) 20:18:20ID:
【歴史】性の指南書を書いた武将


実はお盛ん?あの偉人2

【問題】
性豪であり性の指南書を書いたことでも知られる戦国時代の武将・松永弾正。12月に関係するあることを理由に休戦をした最初の武将でもあります。あることとは?

以前記事にした「実はお盛ん?あの偉人」が好評だったので、第2弾を書いてみることにしました。「歴史上の偉人が夜も強い」というのは、
意外だとしても納得だとしても興味深いものがありますよね。
今回まず取り上げる2人は、どちらも歴史上でミステリアスな存在として語られる男たちです。

まずは戦国時代の武将・松永久秀。「松永弾正」の名でも知られています。室町幕府第13代将軍・足利義輝を暗殺し、仕えていた三好家を乗っ取るなど謀略家でもあります。

そんないかにもワルな男ですが、実は性豪として知られているだけでなく、「性技指南書」を記しています。
その内容は親交深い医師・曲直瀬道三(まなせどうざん)から教わったとされています。当時は中国から伝わる「房中術」と呼ばれる性の技法について語られたものはありましたが、
武将自らそれについて記したのは日本初でしょう。

また、松永弾正を越える日本史上の謀略家であり、暴力的なまでの性欲の持ち主として知られるのが道鏡。
奈良時代に祈祷の力を用いて称徳天皇に近寄り、権力を握ったことで知られます。その性戯で近しい者を籠絡するほど精力が強かったといわれ、
特に「道鏡巨根説」はトンデモ系歴史好きには定番のネタ。

江戸時代に
「道鏡は すわるとひざが 三つでき」
という川柳が詠まれたほど。「悪のヒーロー=精力絶倫」というのはファンの妙な期待なのかもしれません。

ソース:So-net
77 :日本@名無史さん2013/11/08(金) 00:34:42ID:
称徳天皇って色々逸話があるけど
本当に道鏡にトロトロにされてたのかな
79 :日本@名無史さん2014/02/06(木) 18:38:30ID:
世界的に見てもロリ、ショタ禁止なんてこと言い出したのは近現代になってからだ
81 :日本@名無史さん2014/02/08(土) 10:16:12ID:
戦国時代の武将と小姓の関係とかあるじゃん?
痔にならなうようにローションでほぐすと思うんだけど当時は何を使ってたんだ
ふのりとかか?
82 :日本@名無史さん2014/03/04(火) 20:35:46ID:
江戸時代は白卵や葛粉とかで作ってたらしいよ
83 :日本@名無史さん2014/03/28(金) 14:57:46ID:
村で夜這いって話だと、じつは父親が同じなのに子供同士もそれに気づかないでいて
子供作っちゃって奇形が生まれたとかあるんじゃない???ないの??
85 :日本@名無史さん2014/03/28(金) 17:30:59ID:
古代ローマではいわゆる「正常位」は、女の顔を観察ししながらセックスする変態体位だと考えられていた。
後背位がノーマルな体位。
日本でも古事記などを見ると後背位がノーマルだったと考えられている。
87 :日本@名無史さん2014/06/08(日) 07:11:43ID:
古本屋でさらっと立ち読みした本に日本仏教において男色は地獄行って書いてあったけど
マジ?
ならキリストイスラムはどうなんだし
88 :日本@名無史さん2014/06/08(日) 10:00:03ID:
>>79
未成年とのセックスは、昔も禁止か、禁止されてなくても世間の評判よくなかった
昔は12才で成人だったけど
92 :日本@名無史さん2015/07/23(木) 12:44:54ID:
歯ブラシの原型らしきものが生まれたのが明治だからな

おまけに今みたいにシャンプーはおろか石鹸すらない
風呂好きの日本人はまだマシだったろうと思われるが欧米とか
糞尿も窓から投げ捨てる世界だったから、凄まじいだろな…

なんせ「にんにく」が臭い消しとして重宝されたんだもんな
現代じゃ悪臭の代名詞のにんにくがだぜ
93 :日本@名無史さん2015/08/08(土) 22:24:31ID:
>>87
男色といえば寺なんだがな。
95 :日本@名無史さん2015/08/13(木) 14:11:16ID:
作品社「男色の日本史」を読むことだ。

分かったな。

皆の者。

96 :日本@名無史さん2015/08/13(木) 14:43:50ID:
江戸時代既に3Pとか2穴攻めがアッたのが笑える
97 :日本@名無史さん2015/08/13(木) 17:34:33ID:
鎌倉時代から男性同士は69を愉しんでいたことが
良くわかった。
98 :日本@名無史さん2015/08/15(土) 03:43:28ID:
「性愛と結婚の日本史」加来耕三著


 日本人の奥深い恋愛文化と結婚の変遷をたどる歴史読み物。

 古事記の昔から、日本人は性に対して実におおらかで、恋愛が何よりも大好きな民族であったと著者はいう。
その古事記によると、親子間や同母の兄妹(姉弟)だけは禁忌であったが、それ以外は男女にタブーはなく、
最近の研究では「国生み神話」のあのイザナキとイザナミも兄妹ではないかと想定されているそうだ。
現代では「夜這い」と誤解されているが、もともとは女性を訪ねた男性が名を「呼ばふ」という動詞の名詞化で、
「婚い(よばい)」は婚姻手続きの第一段階だったという。
その他、職業としての売笑(売春)のルーツなど、古典を読み解きながら往時の日本人に男女関係のヒントを学ぶ。(祥伝社 640円+税)
101 :日本@名無史さん2015/08/30(日) 02:14:32ID:
>>99

田舎の寒村の奇習だよ。
おもしろいから、明治、大正、昭和とネタになった。

それが全部が全部という誤解が生まれたw
102 :日本@名無史さん2016/06/22(水) 17:05:43ID:
>あのイザナキとイザナミも兄妹ではないかと想定されているそうだ。

日本書紀の一書の異伝に「この二神は青橿城根尊の子である」と
書いてあるのが根拠かな?惶根尊って女神だから同母兄妹になり
そうな気が…。
103 :日本@名無史さん2016/07/05(火) 18:25:52ID:
>>99
民俗学の世界じゃ全国的に当たり前だったような感じみたいだけどねえ
それにそんな現代的というか明治以降に完成されたような貞操観ありきで
語られてもなあ…
104 :日本@名無史さん2016/07/06(水) 12:53:05ID:
というかフリーセクスだったとしてもそれがどうした?としか思わんな
それこそ中には歌にまで詠むぐらいにおおらかだったわけだし
神事なんかだとセクスそのものが厭らしいとは思われていない感じが
あってむしろ微笑ましいんじゃねw
105 :日本@名無史さん2016/07/14(木) 19:16:18ID:
セックスでイニシアチブを握らなければ市民権剥奪!? 日本と古代ローマに共通する文化は男性同性愛!? 「結婚と性行為の歴史」
114 :日本@名無史さん2020/06/12(金) 01:35:18ID:
兜合わせ
玉合わせ
貝合わせ

引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1333187460/l1000