【歴史】何故、古代は女帝が多数存在していたのか

1 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 01:52:08ID:
当時の政治情勢を踏まえて80文字以内で説明せよ

って問題が法政大学の入試で出たのですが、これって明確な理由が有るのでしょうか?

僕は「男女の身分差が少なかった」「まだ男しか皇位に就けないと言う決まりが無かった」この二点を纏めたのですが、調べてみたところしっかりとした理由は見つけられませんでした

もし宜しければ皆さんの意見と回答の要点を教えてもらえませんか?
3 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 02:12:11ID:
日本書紀の登場人物で、もっとも卑弥呼に近い人物は、土蜘蛛。
大和朝廷に滅ぼされた側の人物。

土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─イ、蜘蛛塚 八束脛門へ戻る


大山田女:日本書紀によると、神功皇后が、かつて「山門(やまと)」と呼ばれた
この地の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)を討ったとのことです。また、その兄
である夏羽(ナツハ)が軍勢を従えてやって来たのですが、妹が討たれたと知り、
逃げ去りました。こちらに詳しく書いてあります。
4 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 02:19:53ID:
違うよ。倭迹迹日百襲姫だよ。
5 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 02:24:30ID:
>>1
マジレスすると、古代の大和朝廷は騎馬民族王朝の風習が色濃く残っていたのと、血族間の争いが
あったからなんだよ。

騎馬民族王朝は、中国や倭国(卑弥呼やその後継者たちの間に血縁関係はない)と違って、
血統が重視される。しかも、男系だ。
ただ、長男とは限らない。←ここは大事なところだから、よく覚えておいてくれ。

えっ男系?女帝の話なのに男系?
と思うかもしれないが、その疑問に答える前に、なぜ男系かを簡単に説明しておこう。
それは、騎馬民族では何よりも戦闘が重視されたから。
戦闘で活躍するのは、やはり男。
王は戦略上の能力が優れていなければならなかったし、その男系の子孫はそれを受け継ぐ
可能性が高いと考えられた。

ここからが、女帝の話。
騎馬民族では、戦時に王が亡くなることも少なくなかった。
その場合、後継者を決定するまでの間(長男とは限らないからね)、誰かをリーダーにして
まとまらなければならない。

そう、ここで女帝だ。
後継者が決まるまでの間、王の妻、多くの場合正妻が、一時的に王の代理となる。
これが、騎馬民族の女帝。

そして、日本の女帝も全てこのケースだ。
初期の大和朝廷には、騎馬民族の風習が残っていたわけ。
6 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 03:22:02ID:
>>5
ありがとう。
つまり、代打とか中継ぎとかってのを簡単に纏めるのか。

だけど大学側は生徒にその回答を求めてたのかな

そしたらレベルが高すぎですわ
7 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 15:16:22ID:
この場合、騎馬民族なんて関係ないだろw
8 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 15:33:07ID:
>>7
でも、戦争に明け暮れていた邪馬台国の倭国は、大和朝廷とは全然違う王位継承だったんだぜ。
9 :日本@名無史さん2016/02/08(月) 18:42:27ID:
>>5
これほんとなの?
推古天皇はリリーフ?
10 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 01:36:12ID:
>>9
推古天皇は典型的な騎馬民族型の女帝だよ。
少し特別なのは、次の皇子が死んだことで、在位期間が延びてしまったこと。
11 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 01:47:42ID:
>>8
は? 何を根拠にそんなこといってるんだ?

>>9
リリーフっていうか皇位争いを回避するためだよ
次の天皇を決るとなると争いになりそうな時に先延ばしするための存在が女帝
推古は聖徳太子と押坂彦人皇子の争いの
正面衝突を回避して情況を先延ばしするための即位

天皇崩御から新帝即位までの間は朝儀を主宰する天皇がいないから
朝儀は停止状態になる
この時に動いてるのは後宮だけ、そこで後宮の主宰者である皇后(未亡人)が
服喪の期間は事実上の権力者になる
(新帝を指名する実権をもつ場合も多い)
普通はこの期間は1年に満たないのだが、皇后が生きてる限り延長したのが女帝
12 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 01:50:24ID:
倭国は血縁関係なし、大和朝廷は血縁第一の大陸型。
13 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 02:02:54ID:
卑弥呼も夫に先立たれた可能性はあるよね
15 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 02:27:39ID:
>>13
それならそう書かれるわ。
魏志倭人伝は卑弥呼の死亡後に書かれてるんだから、ある時点での夫無しではないのよ。
16 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 02:38:13ID:
>>12
倭国は血縁関係あるだろ
17 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 02:49:24ID:
倭国の王はどう見ても血縁関係ないだろ。
18 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 02:55:06ID:
倭国の男王と卑弥呼、その次の男王、台与、どこにどう血縁関係があったと?
どこかにそんなこと書かれてるか?
19 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 02:59:02ID:
>>18
説明されないとわからないって、かなり疎いみたいだね

台与は卑弥呼の「宗女」つまり一族の娘。血縁ないのに宗女とはいわないでしょ。
倭王讃から武までの5人もすべて男系の一族。
20 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 03:10:50ID:
宗女は、一族の娘ではないよ。そういう例はない。
同じ宗教の女だ。
21 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 03:11:24ID:
姪なら姪と書くわな
22 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 03:12:36ID:
>>19
昔の倭国と日本国になった国は別民族だよ。
23 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 03:18:51ID:
>>20-22
おまえの珍説などどうでもいいんだが。議論の邪魔だから消えててくれる?
24 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 03:24:39ID:
俺も宗女は一族という意味だと思ってたけど、
それだと、台与の前の男王は血縁関係なかった
ことになるんだよね。

倭国では、あまり血縁は重視されていなかった
のかな。
25 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 06:47:10ID:
戦で男が足りなくなったから
26 :日本@名無史さん2016/02/09(火) 07:35:22ID:
>>24
そうだね。大和朝廷にはあり得ない承継。
27 :日本@名無史さん2016/02/10(水) 23:41:57ID:
>>24,>>26
自演乙

男王と卑弥呼の続柄については書かれてないから不明ってのが正解
28 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 13:59:19ID:
>>1
 騎馬民族征服王朝説で有名な江上波夫氏は、
「 日本古代の女帝については、折口信夫氏の、女帝すなわち宮廷?と天子との中間に立つ、
中天皇(なかつすめらみこと)という巫女説などもあるが、現在では井上光貞氏や直木孝次郎氏らの考説が
一般の承認を得ているようにみられる。それは推古以下、元明にいたる五人―じっさいは四人であるが、
皇極(斉明)を二人とかぞえて―の女帝が、皇后またはそれに準ずる皇太子妃であったことに着目して、
彼女らが女帝になったのは、いろいろな問題があって、皇位継承者をすぐには決定しがたいばあい、
とくに有力な候補者が対立していたり、直系の皇子または皇孫が皇位継承の候補者の一人でありながら、
幼少その他の理由ですぐには即位できないばあいなどに、男子の天皇と天皇との中間をつなぐものとして、
そういう意味の中天皇(なかつすめらみこと)として現れたという解釈である。
 そのことは、宣化天皇が亡くなったとき、欽明天皇がすぐに即位することを躊躇して、群臣に
「自分は年少で見識が浅く、政事に習わない。山田皇后(安閑天皇皇后)はあきらかに百揆(もものまつりごと)に
通じておられるので、頼むから皇后のところに行って、天皇になっていただけ」といわれたが、
山田皇后は固辞して受けられなかったという所伝に照しても、その正当なことがうなづけよう。
 ただここに一つの疑問が残るのは、皇位継承問題が主要な理由ならば、推古天皇皇女あるいは山田皇后以前にも、
そのことがあってもよいと思われるのに、この特定の時期にのみ女帝が輩出したのはなぜだろうか、
ということである。
29 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 13:59:50ID:
続き。
 それについて、岸俊男氏や直木孝次郎氏は、そのころ皇后が「おおきさき」として、
他の妃たる「きさき」から区別されるようになり、その地位が向上しており、また私部などがおかれて、
経済面からも皇后の勢力が安定した結果、皇后はかなりの権勢をもつようになって、
そのような裏づけができたことが、皇后をして天皇の地位におしあげた一つの理由ではないか、
と考えておられる。
 たしかにこれも理由の一つではあろうが、私は、同じ時期に、皇女を后妃にするふうがさかんになったこと、
皇太子による摂政など、いわゆる皇親政治が行われたことにも留意し、女帝の即位も、
豪族をなるべく政権の座から遠ざけて、皇室による中央集権を指向した、一連の政策に出たのでは
あるまいかと憶測するものである。
 それはとにかく、応神から雄略までの諸天皇の皇后は、多くは天皇に立ちえなかったであろう。
というのは、出自がほとんど葛城などの臣姓の、国神系の豪族で、天皇氏ではなく、血統の原則から
天皇になる資格がなかったからである。光明皇后が聖武天皇のあと、天皇に立つべき諸種の条件をそなえながら、
それにならなかったのも、彼女も天皇氏出身ではなく、血統の原則にはずれていたからであろう。」
と推測されているけど、こんな難問を大学の入試問題に出すとか、法政鬼だな。
31 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 16:25:58ID:
古代ではシャーマンとして政治を主宰する必要から女帝を立てた。
32 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 17:02:30ID:
>>1


当時は男性の識字率が低く、先進的な家族構造である
共同体家族も少なく、絶対核家族や直系家族が多かったから女性の権利も高かった

と、書けば、ちょっと知ってる人なら
トッドかと思うだろうが、古代が本当にそうであったか検証してないから分からん

それに、当時の政治情勢を踏まえて、と書いてあるので間違いとされる可能性が高い
採点する人が開明的な人物なら分からんけど
33 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 18:07:30ID:
>>30
 読んでみたい。
34 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 18:28:55ID:
嫡系への皇位継承を重視した天皇家と、嫡系に娘を嫁がせて天皇の外祖父となることを目指した藤原氏の意向が合致し、後継が成長するまでの中継ぎとして女性が皇位に就いた。

らしい
36 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 19:39:58ID:
アホの法政が史実を踏まえた解答を期待してるわけないだろ。

「定説はないが、私は〜と考える。すなわち〜。例えば〜。これに対して近代においては〜。以上の通り、古代においては〜。」

適当に書けば満点だよ。アホの法政なんだから。
37 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 20:48:55ID:
>>36
お前がバカなのは良く分かった

高卒かな?受験してないでしょ?
40 :日本@名無史さん2016/02/11(木) 22:16:00ID:
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。

稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
42 :日本@名無史さん2016/02/12(金) 14:46:57ID:
卑弥呼やトヨ、神功皇后の例からしても、女性の地位が高かったんだろうな。
母が誰であるかも重要だったように見えるし。
まあ、求める答えは分からんが、たったひとつの答えだけが正解というんじゃなくて、
論じ方の問題って気はするが。あ、法政か、ならわからんな。
43 :日本@名無史さん2016/02/12(金) 15:03:04ID:
卑弥呼や台与は、完全に宗教でしょ。独身の宗教女。
47 :日本@名無史さん2016/02/14(日) 00:00:37ID:
邪馬台国の倭国は、血統じゃなかったんだよな。
卑弥呼は突然出てきたキチガイババアだし。
48 :日本@名無史さん2016/02/14(日) 04:50:13ID:
外国人が書いた魏志倭人伝と
後世に書かれた日本書紀

これくらいしか史料が無い時代のことで
論を立てろって無茶苦茶過ぎないか?
49 :日本@名無史さん2016/02/14(日) 05:50:58ID:
邪馬台国について、日本書紀は何の参考にもならないよ。
50 :日本@名無史さん2016/02/14(日) 23:37:07ID:
>>49
48はそういう主旨ではない。
別々の女帝について書かれた2文献を別個に
示したに過ぎない
51 :日本@名無史さん2016/02/14(日) 23:40:43ID:
>>34
それだと、古代は、という設問なのに
飛鳥奈良時代の女帝についての
理由付けにしかならない。
54 :日本@名無史さん2016/02/15(月) 00:20:31ID:
縄文人のDNA分析完了

>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。


57 :日本@名無史さん2016/02/18(木) 00:31:59ID:
存在はしていたが
それが多数なのか少数かのかは比較の対象によって何とでも言えるだろ
58 :日本@名無史さん2016/02/18(木) 01:44:12ID:
?推古、皇極(斉明)→後継者問題の引き延ばし
?持統、元明、元正→嫡系相続のための中継
?称徳(孝謙)→皇太子になったのち即位しており特殊事情ありか
59 :日本@名無史さん2016/02/25(木) 15:37:24ID:
シャーマンだったからでは?
60 :日本@名無史さん2016/02/25(木) 21:49:30ID:
推古朝の時の朝貢した『倭国の王は男子』って蘇我馬子を指してたって説も有るしな
61 :日本@名無史さん2016/02/25(木) 22:18:02ID:
蘇我馬子天皇説ですね
62 :日本@名無史さん2016/02/25(木) 23:55:42ID:
隋書にでてくる「倭国の王」は舒明天皇だろう
日本書紀は推古朝を60年引き下げている
63 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 00:18:39ID:
>>59
全く答になってない。0点。
64 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 00:35:23ID:
自分が理解できない事をO点と呼ぶタイプか
65 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 20:46:26ID:
>>59
推古以降の日本のすべて女帝の中でシャーマンはいないけど?
66 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 22:26:20ID:
卑弥呼のように鬼道を使った倭国は日本じゃないし。
68 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 22:47:01ID:
>>65
推古以前にはあり得るならO点ではないのでは?
69 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 22:48:50ID:
ほとんど百済王の話だからな
70 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 23:23:33ID:
>>68
なぜ女なのか書いてないからレイ点だろ
71 :日本@名無史さん2016/02/26(金) 23:32:09ID:
>>68
そんならまず推古以前に女帝が存在したことを
おまえが証明してから言えよw
後出しジャンケンで「もうこうだったら」みたいな話はやめてくんないかね
72 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 01:39:08ID:
倭国の卑弥呼や台与が、何らかの女性ならではの宗教的な権威を持っていたことは十分あり得る。
なにしろ、鬼道だからね。

でも、推古天皇もそうだけど、日本国の女帝にそんな力があったという話はない。

倭国の女帝と日本国の女帝は、次元が異なる。
73 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 10:54:19ID:
>>71
論点がずれてないか?
74 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 11:07:03ID:
>>71
自分が理解できない事を後出しじゃんけんと言うタイプか
75 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 15:46:30ID:
まだ天皇として幼過ぎる男子が成長するまでの繋ぎとして、
その母親(つまり亡き天皇の皇后、ただし皇族に限る)や
その姉が即位したと何かの本で読んだわ。
持統天皇や称徳天皇辺りがそうじゃなかったかな
76 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 19:49:24ID:
>>75
騎馬民族の風習だね
77 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 22:35:45ID:
 書いとくか。
「 大陸の騎馬民族国家において、皇妃が政治や軍事に関与し、また君主の後継問題に活躍したことについては、
匈奴・突厥・拓跋魏について概説したときに、ところどころで言及した。
すなわち匈奴の冒頓単于の閼氏の軍事への容喙、セン渠閼氏の単于後継問題における暗躍、
呼韓邪単于二人の姉妹の閼氏による単于後嗣の順位の決定、突厥の大義公主の軍事・外交への干渉、
拓跋魏の文明皇后の執政などである。このほか、遼(契丹)の建国者(遼太祖)耶律阿保機の皇后述律氏、
明大の蒙古の英傑順義王俺答汗の妃三娘子など、夫の死後に国政を執った皇妃は、
騎馬民族国家においてはすこぶる多い。
 遼の述律皇后については、太祖の死後、彼女が夫の功臣を、あの世で太祖が待っているであろうと、
つぎつぎに殉死せしめたので、ある者があの世で太祖がいちばん待ちうけておられるのは
皇后自身だろうというのを聞いて、自分は国事に責任があるから死ぬわけにはゆかないが、
身がわりにといって、その一腕を断ち切って、太祖の陵に納めたという伝説が残っている。
 これはもちろんたんなる伝説にすぎないが、そこに、騎馬民族国家の后妃にいかにもありそうな、
策略にとみ、豪放果敢な、男まさりの一女性が描きだされていてなかなかおもしろい。
しかし史実としては、述律皇后が摂政したのは、太祖の第一子の東丹国王倍にではなく、
彼女の寵愛した第二子の大元帥尭骨に遼の帝位を継がせる工作をするためであったに相違ない。
そうしてじっさい、尭骨は摂政太后や群臣の支持をうけて即位することができた。
すなわち遼の太祖である。そうしてこのように次の君主(ハーン)が決定・即位するまで
皇太后が国政をみるという、騎馬民族国家に一般的な現象が制度化されたものが、
チンギス・ハーン蒙古の監国皇后にほかならないと思われる。
 このチンギス・ハーン蒙古の監国とは、大ハーンの死後、次の大ハーンの選出されるまで、
蒙古帝国の内治・外交・軍事の一切の権能を委ねられて、統治に当たるもので、
第一代チンギス・ハーン死後は、その末子のツルイが最初の監国になったが、
第二代のオゴタイ・ハーンの死後は、その皇后のトラキナが、第三代のグユク・ハーン死後は、
その皇后のオグール・ガイミシが監国になった。
78 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 22:37:27ID:
続き。
 監国のもっとも主要な任務は、クリルタイ(大集会)を招集して、次期の大ハーンを選定・推戴することにあったが、
監国は原則的に大ハーンと同等の権力をもって、みずからのイニシアティブで蒙古帝国の統治を行うことができた。
それで監国皇后トラキナは、チンギス・ハーン以来の功臣で、夫オゴタイ・ハーンの時代に右丞相であった鎮海を免職し、
その他前代からの多数の要人をしりぞけ、一方、回教徒のアブドル・ラーマンを財政長官に登用したりした。
 また大ハーン後継者選定のためのクリルタイも、トラキナによって招集されたが、第一回、第二回とも流会となったのは、
オゴタイ党とツルイ党との党派争いで、直接には、ツルイ党を支持する長老のバツーと、
オゴタイの長子グユクを第三代のハーンにすえようとする監国トラキナとの対立であった。
それでグユクが選定されることが予測されたクリルタイに、バツーが口実をもうけて参会しなかったのである。
 しかしついに、第三回のクリルタイは、バツー不参加のまま開かれ、トラキナの希望どおり、
グユクのハーン位相続が決定した。彼の即位は儀式が終わって、七日間宴会がつづき、
グユクは父オゴタイ・ハーンの宝庫に蔵められた金銀・布帛・宝玉を参会者一同に賜わることになったが、
そのときその配分を委ねられたのはツルイの寡婦シュールククテニ(スルカタイ)皇妃であった。
当時彼女は、トラキナ、バツーをのぞく、蒙古皇族最高の地位にあったのである。
 このように蒙古帝国でも、皇妃の地位・権威は、次の世代の王公のそれよりも上にあった。
ただ彼女ら大ハーンの皇后が、監国にとどまって、大ハーンそのものになることがなかったのは、
彼女らがみな、外婚制によって、蒙古王室の氏族「黄金氏族(アルタン・オボク)」以外の氏族の出身者であったからで、
血統の原理によって、彼女らは大ハーンになることは不可能であった。
79 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 22:38:27ID:
続き。
 次に、グユク・ハーン死後、監国になったオグール・ガイミシ皇后の時代には、ハーン位をめぐって、
オゴタイ党とツルイ党との争いはますます激しくなり、こんどはツルイの長氏メンゲを推すバツーを中心としたツルイ党と、
オゴタイ・ハーンの孫シラムンを推すオゴタイ党との対立抗争となった。この抗争は数年間続き、
その間クリルタイは前後三回開かれ、二回は流会になったが、第三回目に実力者バツーと
ツルイの寡婦シュールククテニ皇妃の力によって、ツルイの長氏メンゲが代四代の大ハーンに決定した。
これに対してオゴタイ党は、メンゲ・ハーン暗殺の陰謀を企画したが失敗し、その党に属した多くの王公は追放され、
さきの監国オグール・ガイミシもその陰謀に加担したものとして残酷な処刑にあった。
 蒙古の監国皇后は、これをもって最後としたが、それは、代四代のメンゲ・ハーンの死後は蒙古帝国は事実上分裂して、
もはや全国的なクリルタイも開けず、大ハーンを選定・推戴しうる可能性もなくなったからである。
かくてクビライはみずからクリルタイを開いて、大ハーンの位についたが、それはもはや蒙古帝国のそれではなく、
いわゆる元帝国のそれであった。」
江上波夫著「騎馬民族国家」p238-242.
80 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 22:45:44ID:
初期の大和朝廷は騎馬民族の風習を引きずっていたものと思われる。
だんだん中華文化になっちゃったけど。
81 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 22:51:02ID:
騎馬民族って言ってもモンゴル系やトルコ系はあり得ない
扶余などのツングース系か鮮卑などのシナチベット系の遊牧民しかあり得ないわけだから
本国が中華にそまれば当然そうなるよな
82 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 23:14:55ID:
だから言ってるじゃん

モンゴル高原は騎馬民族らの東端だとな

本場っつ〜なら中央アジアから西ヨーロッパあたりなんだよ
83 :日本@名無史さん2016/02/27(土) 23:16:54ID:
インドから東側、東南アジアにかけては騎象隊の方が多い
86 :日本@名無史さん2016/02/28(日) 17:15:41ID:
元明天皇から元正天皇は女系による継承だよね
87 :日本@名無史さん2016/02/28(日) 17:22:50ID:
>>86
その理屈なら元正天皇から孝謙天皇までは女系の天皇だな
88 :日本@名無史さん2016/02/28(日) 23:03:33ID:
文武元明元正聖武の流れは持統天皇が
天智の血を繋げていった結果だと思う
89 :日本@名無史さん2016/02/29(月) 13:09:15ID:
>>88
天武と自分の血、つまり草壁皇子の血だろ
90 :日本@名無史さん2016/02/29(月) 14:22:03ID:
>>87
定義の仕方で違ってくるかもしれないが、
普通女系の天皇といえば、母方が「天皇家」であり、
そちらのルートから皇位を継承した人物のことを言う。
であるなら、?元明→元正は女系。これは明確に母→娘への継承だから。
男系ルートなら、元正は「父のいとこ」から皇位を継承したことになる。
?元正→聖武は男系。元正は聖武の「父方のおば」だから。
聖武が女系天皇という場合は、母方の藤原宮子娘からのルートになる。
?聖武→孝謙も男系。孝謙がいわゆる「男系女子」にあたることは説明するまでもない。
91 :日本@名無史さん2016/03/06(日) 09:32:24ID:
皇統における男系・女系の定義は下記のとおりであり、
無意味な議論は不要!

◇男系
 初代天皇の血統が男系で繋がっている系統
◇女系
 初代天皇の血統が女系でしか繋がっていない系統
92 :日本@名無史さん2016/03/07(月) 17:44:35ID:
初代天皇の定義がいまいち不明確だが
実在したと言い切れない気がする「神武天皇」のことだとしたら
多分、すでに今の天皇家は繋がってないんじゃないかな

繋がるとしても女系に女系でかろうじてなんじゃねーかって気がする
93 :日本@名無史さん2016/03/07(月) 18:05:02ID:
100人以上いる天皇の一人か二人は浮気の子だろ
繋がってるわけないよ
94 :日本@名無史さん2016/03/07(月) 19:29:34ID:
女帝どころか熊襲の酋長も女がかなりいた様なので、これは大和朝廷に限った問題ではない
95 :日本@名無史さん2016/03/08(火) 07:52:34ID:
一部に提唱されている説で、古代には即位するには三十歳以上
って年齢制限があったんじゃないかというのがある
兄弟継承が多くなったのもそのせいではないか
女帝が多数輩出されたのもこれに関係があるのでは?
96 :日本@名無史さん2016/03/08(火) 17:23:02ID:
確かに、若くして即位しても安定が保たれる為には王家の血筋に神聖なイメージがつかないと難しい

王朝の初期にそれは無理だよなあ
97 :日本@名無史さん2016/03/08(火) 19:23:34ID:
法政の合格水準がどれくらいか受けた事無いので知らんが

    はしか一吹きでガキが粗方死んじまう御時世だったから跡目争いで揉めた場合に死んだ帝の妃が即位して取り敢えず勢力争いがペンディングされるケースが多かった

くらいがベストじゃね?
98 :日本@名無史さん2016/03/08(火) 19:26:01ID:
>>97おまけ 昔を知る者には実に信じ難いが法政の教授会は今や極左韓流命になってるからねぇ…>1は出題意図解ったかな?
100 :日本@名無史さん2016/03/09(水) 08:11:02ID:
>>92〜94
それをいっちゃおしまいよ

正史では男系続いているんだからヽ(^o^)丿
102 :日本@名無史さん2016/03/17(木) 08:28:45ID:
律令が定着するまでは統治者の実力がモノを言うので継承者が幼少だった場合妻や母が中継ぎするしかなかった
この制度では後継者争いで何度も血を見る結果になるので天武天皇くらいから律令を大胆に取り入れて仕組みで統治するようにした
元明天皇あたりは仕組み作りの最後の時代
104 :日本@名無史さん2016/04/22(金) 00:31:51ID:
>>102
元明以降も血は流れてるが…
仕組みじゃなくて行き当たりばったりに他の系統を排除して
天武持統の血を繋げていった結果にしか見えんが
105 :日本@名無史さん2016/06/19(日) 20:29:37ID:
悪い血を断ち切るための女帝
108 :日本@名無史さん2016/06/20(月) 23:09:45ID:
>>77
匈奴や突厥、遼の皇后は自ら兵馬を率いて戦場に赴くのもザラだったから
日本の女帝や皇后とは比較にならない
109 :日本@名無史さん2016/06/21(火) 17:30:11ID:
事情がどうであれ、女帝が誕生する余地があるということは
外戚の力が天皇家を超えてないということでもあるな。
外戚の藤原氏が摂政なんて位に付けるようになってしまったら、
帝は幼くても問題ないことになってしまった…むしろ幼い方がいい。
母や姉が替わりを務める必要がなくなってしまい、女帝を立てる必要もなくなる。

古代のこの時期…持統〜称徳あたりってのは、
天皇家と豪族達との権力をめぐる綱引きが激しかった時期でもあるでしょう。
それも三世一身の法?とか墾田永年私財の法だっけ
これで藤原氏をはじめとした豪族が力を付けちゃって一気に天皇家の力が弱まった。

おそらく>>1の解答としては、そういうことをまとめてやればいいのでは
110 :日本@名無史さん2016/06/21(火) 21:47:30ID:
天武朝は傍系を排除してだから
直系の血を守るため女帝が多く出た
天武朝自体が逆賊というのもあるだろうけど
直系の血が絶えるとあっさりと
永手良継百川らと組んだ天智系に持っていかれた
111 :日本@名無史さん2016/06/21(火) 22:06:12ID:
中臣氏は祭祀氏族なので天皇家の外戚になれないと言うのを聞いたことがあるな。藤原なら問題ないらしい。藤原の姓を頂き鎌足は大喜びだったろうな。その後の繁栄は言うに及ばず。
112 :日本@名無史さん2016/06/21(火) 22:11:36ID:
実際に藤原姓をもらったのは不比等だと思うぞ
鎌足がもらったことになってるのは後付けじゃないかな
不比等の兄弟筋は藤原を名乗ってないし
113 :日本@名無史さん2016/06/21(火) 22:15:52ID:
確かにそうかも。藤原姓をもらった次の日に死ぬはないわな。次の不比等がもらったんだろう。
114 :日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:29:25ID:
古代では直系が絶えて傍流から後継者を出さねばならないとき、
先代の妃を娶って正当性を高めた例が結構ある。

皇后が残ってれば後継はなんとかできるみたいな意識が根底にあって、
その流れで女帝にも抵抗がなかったとかもあるんじゃないか

あと、持統朝以降の女帝乱立は、
中継ぎでもあるだろうけど、むしろ守りたかったのは持統の持ってた血統の方なんじゃ?ってくらいの執念を感じる…
115 :日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:32:16ID:
『王子とコジキ』

ググってみたほうが良い、実際に入れ替わっているから、
本物のほうがコジキ?のような扱いだと思う
116 :日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:34:05ID:
王子ではなくても王女、
その女帝でも良い

なぜコジキの家が、
王子や女帝になるんだ?
117 :日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:37:18ID:
島の誕生〜神代から続いているという話があるでしょ、
悪く言うとコジキ

当時の中華や半島などから
渡って来た人ではないんでしょ
118 :日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:47:16ID:
『中華』で、ググるだけでもわかるはず

『関帝』廟というのものが出てきたり

 帝、女なので女帝なんでしょ
119 :日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:53:43ID:
詳しいことは、わからないけど

「そうことなんだっつーの!」
「生きてたのか!」と言っている人がいたり

『聖化 日神 日霊 津』
『伊達の桃太郎』など、この家の話でしょ

『天帝』という文字が見えない?
120 :日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:59:43ID:
「本系」

天帝より授かり、渡って来た家の本系?
何やらを祀ったりしていたんだと思う

蚕を飼っていたり、機織りをしていたり
124 :日本@名無史さん2018/05/27(日) 18:58:29ID:
>>1みたいなことを言う人って、恐らく(推測だが)
日本史上に女帝が何人いたか知らないで、
「昔は沢山いたはず」って思いこみだけで言ってるんじゃないかって気がするんだが。

実際に、女帝が希少な例外でなかったのは、奈良時代頃のごく短い一時期のみだし、
その時期だって、女帝はあくまでも中継ぎで、
男子と同様の権利で女子が帝位を次いでいたわけでは全然ないんだが。
125 :日本@名無史さん2018/05/27(日) 19:03:14ID:
>>124
明治以降は男子しか天皇になれないと皇室典範で決められたため
女帝は存在しない日本において古代は違っていたという話だろ
126 :日本@名無史さん2018/05/27(日) 21:10:22ID:
>>125
いやそれはわかるんだけど、江戸時代以前で少なく見ても100人以上いる天皇のうち
女帝はわずかに10人未満でしょ。
「複数存在していた」なら正しいし、わかるんだけど、>>1は「古代は女帝が多数存在していた」って言ってるから、
たぶん何か勘違いしてるんじゃないかなって気がする、ってこと。

ちなみに、日本では古代から近代まで、原則帝位は男性が継ぐもので、
例外的に何かの事情があるときに、女帝も認められていた(ただし「女系」は全く論外で、当然認められてなかった)。

っていう歴史的な経緯があって、その「原則男性」ルールを「法的拘束力」にしたのが明治政府だったわけだから、
江戸以前の方が「男女の身分差が少なかった」という事実は特にない。
そのあたりも、>>1さんは根本的に勘違いしてるんじゃないかって気がする。
127 :日本@名無史さん2018/05/27(日) 21:17:28ID:
「原則的に男性(ただし天皇が決めれば何でもできる)ルール」を「明文化ルール」に改めたのは、
単純に、
「政治を天皇が好き勝手にできないように、法律を整備する」ってことの一環だよね。
明治政府は立憲君主制を目指していたので、その当然の流れに従っていたってだけの話。

別に、明治政府になって男性の力が強くなったとか、そういうわけでは全然ないんだが、
特に日本のフェミニストさんとかって、意図的なのか無知なのか、その辺を必ずごっちゃにして
全て自分の都合のよいように主張してくるから、正直始末に負えない。
128 :日本@名無史さん2018/05/28(月) 18:02:56ID:
>>109
恐らく女帝が立てられなくなったのは、その通りだと思うわ。
この時期に女帝が続いたのも、天武持統の血筋で皇位を継承していこうっていう意図が見えるし。

それに加えて女帝が避けられた理由として、称徳女帝のトラウマがあったかも。
彼女は未婚のまま皇位についたため生涯独身で過ごさなければならなかった。
和気清麿呂は日本は古来より君臣の別がはっきりしていると言ったが、
これは道鏡への禅譲を否定するのと同時に、
女帝の夫ー男尊女卑の時代においては女帝の主人ーの存在を否定している。
称徳が女帝となった時点で、天武持統朝の断絶は確定してた。
こういう事例があったことも、一因としてあると思う。
129 :1282018/05/28(月) 18:16:28ID:
訂正
弟が跡継ぎを残さないまま死んだ時点だな。
断絶が確定したのは。
130 :日本@名無史さん2018/05/28(月) 19:24:13ID:
>>127
大日本帝国憲法では天皇は統帥権を持つ軍人だった
当時は軍人になれるのは男性のみであったために天皇も男性に限られた

イギリス王室も国王は軍人だが女王もいる
エリザベス女王は第二次世界大戦中に物資支援隊に参加した
日本も自衛隊に女性の入隊が認められているから今なら問題ないかもね

そもそも日本国憲法下では天皇は軍人ではないんだが
皇室典範だけは明治時代からずっと改定されてないんだよね
131 :日本@名無史さん2018/05/28(月) 19:32:23ID:
後に中華(大陸など)から渡来してきた人々がいるでしょ、
そういう人々のほうが凄いと思うんだけど、どう思う?

それでは、キリがないという事で独立した?
132 :日本@名無史さん2018/05/28(月) 19:38:22ID:
あと当時、女帝という呼称などなかったんじゃないの?
本当にあったの?
133 :日本@名無史さん2018/05/28(月) 20:05:26ID:
平安時代にはすでにあったらしいよ
例としては「大鏡」で孝謙天皇のことを
「女御子を、聖武天皇、女帝にすゑ奉り給ひてけり。
この女帝をば、高野の女帝と申しけり。」といってる
134 :日本@名無史さん2018/05/28(月) 22:48:04ID:
聖武皇帝は天女と交わり拓跋魏の始祖を産んだ伝説の聖帝様だ。真似してんじゃねー
135 :日本@名無史さん2018/05/29(火) 00:28:17ID:
>>130
古代なんてまさに、天皇は軍人のトップでしょ?
聖徳太子の時代まで、天皇は皇族は軍事力持って自らいつも戦争してたし、
天武帝も軍勢率いて戦ってたでしょ?斉明女帝だって戦争の統帥のために筑紫に本営作って移ってたでしょ?

「天皇は統帥権を持つ軍人だった 」というのは別に明治憲法に始まったことではなく、
そもそも軍事政権だった大和朝廷の起源以来、ずっと暗黙の了解だったはずだよ。
で、それが基本的に「軍人である以上、基本的に男子」というのも、別に明治憲法に始まったことではない。

なので繰り返すが、明治政府はそれまで、非成文的なルールだったものを明文化しただけのことであって、
明治時代に何か男性の地位が向上した(それまでは女性の地位がもっと高かった)っていう事実はない。
136 :日本@名無史さん2018/05/29(火) 00:41:28ID:
まあ律令制では「天皇は軍人」とは規定されてないけどね。
軍人でもなく、非軍人でもなく、それらを超越した存在。

しかしこういう話になると、何が何でも
「皇位の男子継承は明治に始まったものであり、それより古い伝統はない」ってことにしたがるやつが、わらわれと出てはくるわな。
案外歴史に無知でないはずの人々の間でもそうだから、正直驚く。
137 :日本@名無史さん2018/05/29(火) 08:19:11ID:
>>136
>軍人でもなく、非軍人でもなく、それらを超越した存在。

なんだそりゃ
軍に対しては統帥だろ

>「皇位の男子継承は明治に始まったものであり、それより古い伝統はない」ってことにしたがるやつが、わらわれと出てはくるわな。

「皇室の伝統の多くは明治に始まったものであり」と間違えてないか?
138 :日本@名無史さん2018/05/29(火) 08:30:24ID:
それよりも


神代〜直系なの?
141 :日本@名無史さん2018/05/29(火) 08:59:24ID:
『女帝 呼称』
ほとんど同じ話ばかり。

少し調べて読んでみた?
倭〜半島〜中国、詳しいことは、わからないんだけど・・・武田氏(不明)という名前が出て来たり。
142 :日本@名無史さん2018/05/29(火) 09:01:25ID:
武田氏〜新羅、倭人と後付けのような感じでやっているんだと思う
147 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 01:30:47ID:
「男子継承は皇室の昔からの伝統ではない!」って言っている人が、
男子に〇仁って名を付けるのは皇室の伝統だと思ってたりするよな
結局何も知らないんだな、っていう
148 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 01:39:58ID:
っていうか、なんで>>125さんや>>130さんは
スレと全く関係のない皇室典範の話なんかしてるんだろう?
飛鳥〜奈良時代の女帝が多い時代と、その他の時代は何が違うのか?ってスレでしょ?ここは
149 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 07:17:27ID:
男子継承=明治時代に確立したもの=長い伝統があるわけじゃない→女性天皇を認めろ!
っていうアホな主張をしたがるやつが多いからだな
150 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 09:02:41ID:
>>149
歴史研究は政治がからむとロクなことにならん
151 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 10:21:43ID:
まあ、結局、一般の大多数の人にとっては歴史なんてどうでもよくて、目先の政治のことにしか興味ないんだよ。

正直にいって皇室なんて、歴史的伝統以外に何かの価値があるわけじゃないんだから、
その伝統を否定して、女性やら女系の天皇を認めるくらいなら、そもそも天皇制自体なくした方が早いのでは?って普通に思うわけだが。
天皇制は存続させといて、その天皇に女性も就かせろって言ってる連中は一体何考えてんのかね。
152 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 10:35:23ID:
>>151
さりとて、女は土俵に上がっちゃイケナいので天皇制を終わりにします
とも言えないわ
153 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 10:41:49ID:
>>151
伝統が何よりも大事なら男は仕事で失敗したら切腹の文化も残したほうがいい
ヨーロッパ人も感動の武士道「腹切り」の立派な伝統は簡単に捨てるのに
男尊女卑文化は何より大事で絶対に守るべき日本の伝統だというのが不思議
154 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 10:50:54ID:
「伝統が何よりも大事」なんて誰も言ってないと思うが・・・

「伝統が重要なら今のまま残せば良いし、
伝統などどうでもいいというのなら、天皇制自体いらないはずで、
いずれにせよ、天皇制残して女帝女系許容しろっていう奇妙な主張は全く成り立たない」
ってことでしょ?

それか、>>153さんは、「切腹の伝統を否定する以上、全ての伝統を否定するべきだ」って言いたいの?
そしたら、切腹しない人は全員、お墓参りもしちゃいけないし、神社仏閣に参拝しちゃいかんってこと?

つーか、あまり人の悪口は言いたかないが何でこうも日本語がまともに通じないのかね、
こういう人々って・・・
155 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 10:57:19ID:
>>154
日本語が通じない馬鹿がいるなあ
天皇制を女系で推進してもいいという考えもあるわけだよ

しかしお前は伝統が何よりも大事だ
男系継承できないなら天皇制を廃止するべきだという

お前の考えも一理あるが他人の考えを聞かないのも考え物
156 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 10:58:52ID:
>>154
あと男尊女卑と墓参りや寺社仏閣参拝に何の関連もないんだが?

なんで男尊女卑を推進しないやつは
墓参りも寺社仏閣参拝も禁止だといいだしてるのか意味不明
157 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 11:06:11ID:
>>155
あの・・・繰り返すけど、「伝統が何よりも大事だ」などとは
自分含め、このスレの誰も言っていないわけだけど。それくらい、わかりませんか?日本語読めません?

他人の考え聞かないとか言われても、・・・最低限、こっちの言ってることくらい理解して
意味の通じる日本語で話してくれないと、聞きようがないわなあ。

いずれにせよ、あなたと会話してる時間はありませんので、これで失礼しますね。
でも、あなたのような議論にならない主張だけしている人が、日本の世の中を悪くしている、っていう
自覚くらいはしておいた方がいいですよ、とだけは一応言っておく。
158 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 11:15:57ID:
>>157
うん、バイバイ
二度とこないでねw

天皇制男系死守でなければ天皇制廃止だという自分の主張を受け入れないやつは
寺社仏閣に行くな、墓参りするな
あなたのような奴が日本の世の中を悪くしている、っていう
自覚くらいはしておいた方がいいですよ、とだけは一応言っておく。
159 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 14:38:11ID:
>>72
俺もそれに同意
シャーマンとして国を治めた卑弥呼・台与と、
天皇家の血統を以て国を治めた推古天皇や元正天皇とは別の性格

畿内説=(邪馬台国はヤマト王権の祖型説)に疑問な点でもある
160 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 16:06:04ID:
女帝がいたっつったって、奈良時代に集中してるだろ
あの時は天武と持統の間に生まれた草壁皇子の男系子孫で
皇位を独占しようとしてたんだよ
それなのに代々子供が一人で幼少、
当時は幼少で即位するのが忌避されたから
母や姉やオバが即位して傍系に皇位が移らないようにしただけ

それだけのこと。それ以外に深い意味なんか何もないぞ

現に平安時代になって「天皇は幼少でもよい」となった途端に
女帝も出現しなくなっただろw
162 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 16:27:01ID:
卑弥呼や壹與は天皇家と関係ない筑紫倭国の女王だからね。
心置きなく天皇制を廃止しよう。
163 :日本@名無史さん2018/05/30(水) 18:21:56ID:
中国名の邪馬臺(邪靡堆)民族は日本名の大和民族なのが古代日本人の常識だった
邪馬台国論争してる現代人はアフォ
164 :日本@名無史さん2018/06/01(金) 19:33:00ID:
天皇家の始祖は卑弥呼だよ
165 :日本@名無史さん2018/06/01(金) 20:13:20ID:
>>164
独身だったんだから子孫はいないだろw
台与の子孫ならわからんが
166 :日本@名無史さん2018/06/01(金) 21:25:26ID:
皇室の血統は途切れてて続いてるのは家系だよ
167 :日本@名無史さん2018/06/01(金) 21:27:07ID:
皇室というのは中華、日本のは何なの?
169 :日本@名無史さん2018/06/01(金) 21:34:29ID:
帝室、これも中華だと言っていたよ、
それで神代というのは?
170 :日本@名無史さん2018/06/01(金) 21:37:14ID:
国王、王子なんでも良いけど、
王家というのも中華だと言っていたり
171 :日本@名無史さん2018/06/02(土) 12:15:25ID:
ちなみに古代の定義知ってるか?
国を最初に統一した王から、別の血統の王に政権を取り上げられた時だよ
つまり平安時代までを古代というわけだ
あまりに長すぎるから古代のとか言われても一言で説明できねーよ
アホかw
172 :日本@名無史さん2018/06/02(土) 16:21:12ID:
それなら、奈良時代の前までで区切るべきだね。
言語学的、文化的に700年頃に断絶がある。
173 :日本@名無史さん2018/06/02(土) 17:59:16ID:
>>172
詳しくは知らないが、学校で習った通説と
現代の通説も、俺の知ってる歴史も違うんだよな

今の通説では、日本の古代は平安時代までと決めつけられてるって事じゃないか?
たとえ間違っていても
174 :日本@名無史さん2018/06/02(土) 18:03:58ID:
そんな通説、初めて聞いた。
平安は中世?
言語的には、日本語は奈良より前の上古文、奈良から室町までの古文、江戸時代から現代までの近現代文で文法とかが変わるらしい。
177 :日本@名無史さん2018/08/21(火) 12:16:50ID:
>>1
日本にはサリカ法典のようなものがなかったから
185 :日本@名無史さん2020/03/14(土) 12:47:10ID:
>>72 160
が妥当だわな
>>162
なんでそんな極論になるのかわからない
187 :日本@名無史さん2020/03/15(日) 23:26:39ID:
初の女帝とされている推古は、仮想人物という可能性もある
聖徳太子も存在が怪しいらしい
存在が確実なのは皇極天皇あたりからだろう
反乱軍の勝者大海人皇子が自分たちに都合のいいように過去の歴史を改竄した古事記、日本書紀の大半は虚偽

そもそも大海人皇子の出自も怪しい
中大兄皇子の同父母弟というのは虚偽だろう
188 :日本@名無史さん2020/04/27(月) 16:20:53ID:
女がやっている物事の種類の数は、男がやっている物事の種類の数より少ないと思うので
それで女が集団を落ち着かせようとする女帝という大集団のまとめ役になると

女にとって男がやっているよくわからない物事に、女が指示をする事になるので
間違った指示をする事が多くなり集団を落ち着かせなくなるから
女が女帝というまとめ役になれる可能性がかなり低くなるんだと思う

という事は人類が誕生した時は男も女も物事を始めるスタート地点は同じだし
人類が誕生してから年月が経過した期間は現代より古代の方がかなり短いので
その分、男がやっている物事の種類の数と女がやっている物事の種類の数の差がかなり小さかったから
男がやっている物事を女もよく分かる事が現代よりかなり多かったので

女でも男にとって正しい指示がかなり出来やすかったから
古代の女は女帝になる可能性が現代よりかなり高かったと思う
192 :日本@名無史さん2022/01/01(土) 10:03:40ID: LCRrzRjP7
卑弥呼には六子が居り、内、神武天皇こと山王イマスとの子が五子。
この五子の子孫で無ければ、天皇に成れない規定がある。
後水尾天皇が次男イザサ(倭人伝の都市牛利、古事記の建波邇安王)
の子孫であり、現在の皇室に血が繋がる。後水尾天皇より前は、
三男イサク(古事記の火遠命)の子孫が代々の天皇であった。
卑弥呼と神武天皇の兄ミマキとの一子が、チチツであり、
皇室守護神・比売大神として、岩清水八幡宮に祭られる。
卑弥呼と神武天皇との次女アタツと、難升米との子アザミツが壱与であり、
この子孫が秦氏、藤原氏として栄えている。天皇になれる人材は、以外と多いのだ。

引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1454863928/l1000