【歴史】北海道の開拓民の文化について教えて【民俗】

1 : 天之御名無主2017/08/21(月) 10:33:50 ID:
北海道って開拓民が自国の方言や文化をコミュニティ内で保守できなかったのはなんで?
2 : 天之御名無主2017/08/26(土) 11:39:17 ID:
交流があるから
3 : 学術2017/08/27(日) 09:01:02 ID:
リアル北海道の方がいいんじゃないの。神々しい。
4 : 天之御名無主2017/09/09(土) 21:38:31 ID:
その辺りの時代というと依田勉三しかしらないなあ…
5 : 天之御名無主2017/09/18(月) 04:46:05 ID:
北海道人の祖先は、自国で持て余されたヤクザ者が大多数なので、そもそも社会性や共同体への愛着が無かったんだろ
6 : 天之御名無主2017/09/19(火) 14:50:41 ID:
故郷・出身地への愛着が無かった?
7 : 天之御名無主2017/09/19(火) 16:26:51 ID:
愛着がある人は移住しないんじゃないか?
アメリカの白人で一番多いのはドイツ系なのにドイツ語母語のアメリカ人はほとんどいないだろ
8 : 天之御名無主2017/09/20(水) 23:14:53 ID:
ほとんど宮城県民なんですよ
9 : 天之御名無主2017/09/23(土) 05:07:16 ID:
なんで宮城なんだろうね
14 : 天之御名無主2017/11/17(金) 23:46:45 ID:
基本、北海道民(開拓後の)って、情に厚い?薄情?
15 : 天之御名無主2017/12/20(水) 07:14:45 ID:
基本ドライなのかなあ…
16 : 天之御名無主2018/01/23(火) 12:47:34 ID:
地域単位で入植した人たちは農業入植だったので村落は形成したけど、地域の中心となる都市を形成しなかったのが大きいかと。
北海道の都市は小樽や室蘭、根室や函館は港町で商人や港湾労働者、札幌は官吏と軍隊の街、みたいに出身地よりも職種による集住中心。
どうしても住民は出身地が雑多なものになる。

本土だと農村地帯でも在郷町があってちょっとした用事はそこで済ませられるんだろうけど、
ほぼ同時期の入植では村落の経済機能に大きな違いはないだろうからどうしても関係が弱くなる。
一方でそれを補うため距離が離れていても新しく出来た都市とは関係が強くなる。
これらの都市は日本各地出身の住民が住んでて、さらにはアメリカ式の開拓スタイルとかも取り込んでるので、
文化的にはごった煮状態のものになる。

新十津川とか伊達とかの地名を見る限り出身地による連帯感はあったんだろうけど、
文化、経済の中心である都市を形成する人々とその周辺の人々の背景の違いが大きすぎたんだよ。
都市の文化に上塗りされてしまった。
18 : 天之御名無主2018/01/26(金) 22:29:58 ID:
流れ者が多いのは漁業、林業従事者だよね。

漁業は春先のニシン漁、夏のコンブ採り、秋の鮭漁が短期間に大量の労働力を必要とする一方で
漁期がせいぜい2ヶ月で、それ以外の時期は仕事がないから定住者は少数だし、
労働者の出身地の文化なんかもあんまり定着しない。
昭和以降は冷凍船、加工船が普及して冬のカニ漁も大規模になるけど、
季節労働で、定住者は少ないという点は変わらないし。

林業は大正期以降に製紙業が発達すると、通年でパルプ材求めるようになってちょっと事情が変わるけど、
それまでは夏場の季節労働。
こっちも労働者が文化を持ち込むって感じじゃないねえ

炭鉱町はどんな感じなんだろ。
かなりの数の労働者が安定的に定住してるはずだしなんかあってもいい気がする。
20 : 天之御名無主2018/01/31(水) 16:52:55 ID:
>>18
昔の九州の炭坑町なんかは流れ者や喧嘩上等が結構多かったと聞いた
21 : 天之御名無主2018/05/26(土) 01:29:28 ID:
意外と昭和になってから新しい民俗が生まれてるよね
たとえば節分で落花生撒くようになったのは60年代以降らしい
22 : 天之御名無主2018/05/26(土) 18:10:21 ID:
投げた豆を拾って食べるという風習が衛生的にどうなの?と考えられ始めた時代という事だね
23 : 天之御名無主2018/06/12(火) 23:43:54 ID:
どうだろう、それなら落花生豆まきは全国に広がってるはず。
26 : 天之御名無主2018/06/15(金) 00:03:34 ID:
どっちだよ!

「北海道 節分 落花生」で検索かけるといくつも検証サイトでてくるけど、地域的には北海道がメインで東北北陸にも伝播してるって感じかねえ
何故か九州南部でも落花生と書いてるサイトが小数存在

ところで落花生撒く地域は撒いた豆を食べるけど、そもそも大豆炒り豆地域では撒いた豆は食べないよね?
食べる分は撒く前に取り分けとくのが多い気がする
28 : 天之御名無主2018/07/21(土) 02:58:22 ID:
安定した稲作ができるようになったのは昭和初期
下手すりゃ戦後

稲作中心の民俗儀礼は廃れるよね
30 : 天之御名無主2018/09/02(日) 07:40:48 ID:
>>16
基本ド田舎なのに、確かに民俗行事は都市型と言うか生業との関わりが薄い感じがする。
農村なのに予祝とかあんまりしないし。
44 : 天之御名無主2018/09/25(火) 13:37:38 ID:
開拓の伊達氏族は北海道で大麻を売ったり観光行をやってました

歴史と大麻の特集やってます

聖書から学ぶ医療大麻
イエスと十字架、鳥居の関係など

伊達氏族と北海道などもあります
是非ご覧ください
45 : 天之御名無主2018/12/07(金) 00:04:00 ID:
ほんの三十年前までは道南以外の北海道ではアイヌ以外の民俗行事はないって扱いだったんだよな
そんな中でろうそく貰いが報告されてちょっとした騒ぎになって、今じゃ類似の習俗が津軽どころか加賀能登でも行われたなんて論調になってるのは面白い

ただ、伝播期はまだ定説ないみたいね
戦中の疎開期に伝わったなんていう話もあるし
46 : 天之御名無主2019/05/22(水) 16:03:31 ID:
稲田騒動の後に移住した洲本藩士なんかはかなり旧領との関わりが強い
北海道での藍栽培が本格化すると脇町商人を呼び寄せて流通を一任してるレベル
後に渋沢栄一❨ちなみにこいつの実家も武州で藍問屋も兼業する豪農だったりする❩が北海道の藍取引に参入しようとしたときには共同歩調とって撤退に追い込むレベル

文化に関しては、武家文化自体が明治には消滅するわけで北海道移住とはあんまり関係ないと思う
47 : 天之御名無主2019/07/04(木) 22:07:21 ID:
根室は街の雰囲気が銚子と似てる感じがしたなあ
文化というよりは大規模漁港という機能的な共通のせいだろうけど

引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/min/1503279230/l1000