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乳幼児死亡率が恐ろしく高かったか、又は人口調節(間引き)をやっていたか、でないと人口が増えすぎて1万年も続かないだろう。
どちらだったにしても、現代人と縄文人でどちらが幸せだったかは、一概には言えない話だ。 - せやろか
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高いに決まってるだろ
今でも妊娠で流産、早産は生まれる確率は30,50パーだぞ - なぜ1万年も
- 島国だし安定してたからだろ
- 当時のタイムテーブルでは1万年なんぞ束の間
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近代の急激な発展もどうなのと
ここ200年で掘っ立て小屋から超高層ビルだよ -
高層建築自体は中国には2000年以上前からあったみたいよ。
ただ長く持たないから現存してないものばかりだが。
現存する世界最古の高層建築は法隆寺五重塔なのではないかな?
東大寺の東塔西塔は70m超、足利義満が建てた塔は100m超だったという。
14階建てのマンションが40mくらいだから、その高さに驚かされる。 -
>>9
集団学習の効果
詳しくはビッグヒストリーを読め - 貝拾って粘土こねて鹿でも追い回して、、幸せな暮らしやな
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進歩も刺激もなかったんだろw
同時期の中南米のマヤとかアステカとかインカ地方の
人口は数千万まで行ったみたいだぞ。
縄文文化が始まったか、その少し前に北米大陸に入って、
それからそれだけの数に増えたというのに
縄文時代は一貫して25万から8万の間だろ。
なぜこれほど長期にわたって停滞し続けたのか、
それが問題だってのよ。 -
>>10
ヤマト王権に降伏した出雲王権の首長のために建てられた
初期の出雲大社の本殿が、どうやら本当に高さ96m前後あったらしい。
何年か前に柱の跡が出土してる。
簡単な設計図も残ってたんじゃなかったっけ?
建てるには建てたが、横風で何度も倒壊して
段々と高さが低くなって行った。1/2、1/4とね。
今の本殿は当初の1/4の高さのようだ。 -
神様の住む所が風で倒れたんじゃ
かっこつかないわなw
現代の神社にもたいていある注連縄は
縄文時代以来の蛇神信仰の名残り。
当然ながら宗教観にもその頃の感覚が残ってる。 -
日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。
漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは伊勢国丹生(現在の三重県多気町)、大和水銀鉱山(奈良県宇陀市菟田野町)、吉野川上流などが特産地として知られた。 - 子孫共のせいで縄文弥生のハーフ滅ぶよw
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一番の原因は人の流入がなかったからだろ
隔離列島 -
縄文時代は後から名付けられた時代
同じ文化が一万年も続くわけないから -
日本は縄文時代の歴史に蓋されたので
真実はわからない - 縄文海進
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>>2
俺は多分縄文時代でも生きて行けると思う
ただし集団生活 結婚 生殖とかムリ - 全く文明の進歩のない原始人の時代
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1万年ぐらい時代区分する必要ないぐらい進歩がなかった。
進歩しなくても生きていけたってことだよね。
腹が減ったら動物・魚・木の実を取り、
腹が膨れたら景色見ながら昼寝をし、
暗くなったら寝る。
たまに近くの部族とけんかすることはあっても、
要塞作って守らなきゃなんないほど、
激しく争うことをしなかった。
そんな感じかね。 -
縄文時代は詮索されたくない連中が
名付けた時代区分 - 土器の欠片拾える所知ってるけど模様が様々で面白い
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位山ピラミッドは縄文時代ですがシークレット
ですね - 飛騨王朝もシークレット
- 1万年間全く文明の進歩がなかったんだからよほどの能無しなんだな
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>>54
それは近代人の自分化中心的偏見にすぎない。
縄文人は努力してわざと生活様式を変えなかったんだよ。 -
>>54
ネアンデルタールの石器も同じ感じだな
で日本人も似た感じ
旧態依然を好む性質が平和的な性質で
それに合わせようとしてるのが日本人
中には無理をしてその「美しい日本」にあわせようとする人もいて
その無理が反作用になって同調圧力みたいになる -
「規範から逸脱すること」は、人類史上、いつでもどこでもどんな社会でも重大なタブーだった。
こういう“新規法度”が破られたのは、ほんの近代の西欧社会から始まった現象に過ぎない。
新規工夫、発明発見、社会経済発展が至極当然になった近代社会を当然の前提として人類史を見てはいけない。
それは典型的な自文化中心的偏見に陥る。 -
規範から脱する?そんなレベルではないだろ
縄文石器はあの形が1万年、そしてアイヌによって江戸時代まで続けられた
どんな文化圏でも多少の変化はあるだろ?そういうのがない
強迫的に同じ形状を作り続けたんだよ
それはネアンデルタールの異物に色濃く見られる現象 - ムスティエ文化の停滞とオーリニャックの革新性は全く違うだろ
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9500年前の上野原遺跡の連結式炉は1000度に達し、内部が赤く変色している。bstbs諸説ありで
明瞭に映されていた。だが、燻製製造装置とされている。これはありえない。
縄文土器の焼成温度は800度。だから土器を焼く炉ではない。
炭焼き窯は閉鎖的な構造で違う。日本海のチカモリ遺跡で、縄文時代の栗の木に穴をあけたものが大量に
見つかっている。栗は枕木に使われる非常に硬いもので、森浩一教授は鉄器の存在の可能性を述べている。
同様の炉が三重などでも見つかっている。これらは縄文時代の製鉄炉である。森教授によると、
日立金属冶金研究所によると、古い時代の鉄器の方が純度が高く、金糞が少ない。開放的な炉の構造から、
砂鉄を原料としていたのだろう。
岡田英弘先生によると、鉄は銕と書き、東夷の発明としている。これは縄文人のことである。
徐朝龍氏によると、春秋晩期の呉の領域の墓から、中国最初の鉄・鋼が多数発掘されている。
諏訪春雄教授によると、馬橋文化時代bc2400〜bc700、江南から大量の縄文土器が出土している。
縄文時代の製鉄炉がおかしいと言うなら、燻製製造装置の方が、よっぽどおかしい。
燻製製造装置説に難癖付けないのに、製鉄炉説におかしいと言うのはおかしい。
縄文時代、鉄器が存在し、江南へ伝わった。伝わったのは、その後の褐鉄鉱も含む。 -
BSTBS諸説ありによると、ロシア科学アカデミーによると、D4j8という遺伝子は、
日本人とバイカル湖周辺のブリヤート人に共通し、中国人、朝鮮人にはほとんどない。
2万数千年前樺太から南下した。蒙古斑。 - 税金のシステムが出来てから世の中がおかしくなった
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今年の12月22日を境に土の時代から風の時代に変わる
人々よ、今こそ縄文時代に戻れ! -
近年のゲノム解析でわかってきたこと
・「日本列島の先住民はアイヌ」
・「日本人と韓国人は同じクラスター」
・「畿内・奈良県が、最もCHB・KOR(渡来人)に遺伝的に近い」
・「沖縄人は、西北・南九州弥生人(隼人・熊襲)の末裔」
・「現代日本人のゲノムは6300年前の釜山で完成していた」
>本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統である可能性が高いことを示している。
>本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった
>Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB
>沖縄には旧石器時代の遺構は多数あるものの、縄文時代の遺跡が殆どなく、空白の時代であるため、比較的新しい時代に本土から縄文系集団(西北や南九州弥生人)が南下し、縄文人由来の遺伝子が陸封され、現在の琉球民族を形成した
>篠田謙一氏はシンポジウムで、この6300年前頃となる韓国・釜山の加徳島集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代日本人になる、と述べた。 -
日本史を正しく認識するための正しい用語集
縄文人 = プレアイヌ / プロトアイヌ
縄文語 = アイヌ語・夷語
弥生人 = ムムン・コリアン (無文土器時代 朝鮮人)
弥生時代 = ムムン統治時代
皇室 = 列島総督府
日本語 = 百済語・古代高麗語
天孫降臨 = コリアン・インベージョン
神武東征 = コリアン・コンクエスト
征夷大将軍 = コリアン・インベーダー
蝦夷征伐 = 東北アイヌ大虐殺 - 縄文人はネアンデルタールだから
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1982年「人類学雑誌」に投稿の機会が与えられたので、筆者はこの記念論文の中で'Post-Jomon Divergence' と題する一項を設け、縄文時代以後の経過について、およそ次のような考えを述べた。
「縄文人は大陸から孤立した環境にあって旧石器時代以来の狩猟採集中心の生活様式と更新世の新人に近い身性を長く保持し続けてきたが、紀元前1千年紀の半ば以後、大陸から稲作農耕と金属器の文化がもたらされ、急激な変化を蒙ることとなった。
狩猟採集生活が農耕生活に移行したばかりでなく、弥生時代から古墳時代にかけて渡来した大陸系の人びとが、相対的に高い人口増加率を通じて土着の縄文人を圧倒し、日本列島住民の遺伝的構成を大きく変化させた。
それに加えて農耕化にともなう生活様式の変化が身性の繊細化をも招来した結果、縄文人とは大きく異なった身体特性をもつ現代日本人の基礎が形成されたのであろう。
一方、気候条件が稲作に適さなかった北海道においては、近年まで南からの農耕化の波が本格的には及ばなかった。そのため、北からの散発的な影響はあったとしても、基本的には縄文時代以来の生活様式と身性が大きな変化を蒙ることなく維持されてきた。
このことがモンゴロイド的特徴の顕著な本州・四国・九州の日本人と、縄文人的特徴が強く、モンゴロイド的特徴の希薄な北海道アイヌとの分化をもたらしたものと思われる。」
このあと筆者は東日本の古墳時代から古代にかけての人骨についても比較研究を試み、その結果、弥生時代の渡来人の遺伝的な影響がこの時代に広く深く東日本に浸透していたことが明らかとなったので、上述の考え方は現在でも基本的に変わっていない。 -
>>1
戦争が少ないから!
モンゴル人は戦争をよく起こして、最終的には、小国になった!バカどもですよ!(^^)wwwwwwwww
モンゴル人=朝鮮人=ロシア人=池沼! 早く地球上からこいつら、消えなよ!(^^)wwwwwwwwwwwwww -
>>10
三内丸山遺跡の掘立柱建物は高さ20mくらいの複層式だったらしいので高層建築と言えるだろう。約5,000年前だ。
出雲大社の高さ48mは2,000年前。 -
縄文遺跡群、世界遺産に登録勧告 三内丸山など、ユネスコ諮問機関
-
声は発しただろうが固定化された言葉がなく
行動で物語ることだけが真実な移動型文明だった
寿命は今より短かく平和でもなかったが
自然と共存し生きる質は今より遥かに良かった
世界各地に痕跡として残っている
定住型文明はもれなく『滅びる』
こういうことです。 - 渡来人が稲作を伝えるまで狩猟生活で凌いでいたから
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>>98
平和だったろ
平和じゃなくなったのは租とか税金のシステム出来てから
縄文時代は自分と家族を食わせる分の食料集めれば良かった -
>>98
誤爆?
縄文人は定住してたけど -
それだけ豊かだったからだろう。
そして海に囲まれていて敵が来なかった。 -
貧富の差が無かったんだろ
それ故、遠方から来た人を受け入れ
あの時代では考えられない、物流の範囲が
九州から東北まであった。
当然、半島から逃げてきた渡来人も受け入れた
結果、その範囲が朝鮮半島まで伸びて、稲作が伝わった。 -
さっきもNHKの番組でやってたけど、
荒俣さんや番組全体の総意としては火焔土器は火じゃなくて、
植物の芽吹きや生命力をイメージしてるだろって感じだった
でも火は仏教でも護摩を焚いたりするのに重要だし、
毎日の食事で火を使ったり、寒くなれば火で温まったり、
縄文の生活でも火は欠かせないアイテムだったんじゃないだろうかとは思った - あと縄文時代は火が灯りの代わりになってただろうし
-
無い 暗くなったら寝て日の出と共に起きてた
毎日火で灯りをともすのは現実的にムリ -
そっかw 灯りの代わりは無理だったとしても、
たき火くらいはしてただろうから、
今よりずっと火が身近にあったんじゃないかと -
火は身近だったろうね
うっかり火事起こして土器の素焼きとかに気づいたんだと思う
あれ 焼いてみたら丈夫じゃね?みたいな - 灯りはともかく暖はとりたい
- 縄文時代は温暖でした
-
もちろん全体としては温暖な気候だったんだろうけど、
縄文が一万年続いたとすると鬼界カルデラの噴火もあったり、
寒冷化する時期もあったんじゃないかと
昨日の番組でも寒冷化したようなこと言ってた気がする
それにいくら温暖でも北海道にも縄文の集落があったみたいだし、
さすがに朝晩は冷えたのでは・・・
引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/archeology/1562917207/l1000