-
竹中半兵衛や黒田官兵衛、
本多正信や島左近、
直江兼続や片倉景綱といった有名人から、
角隈石宗みたいなマイナーな奴、
山本晴幸(勘助)や白井胤治など実在が怪しい連中まで色々語れ。 - そういや、戦国時代には「軍師」って言葉は無かったらしいねw
-
雪斎の寿命がもう少しあったら
ウツケも猿も狸も全く違う運命だっただろう
その意味で存在感はでかい -
>>2
> そういや、戦国時代には「軍師」って言葉は無かったらしいねw
「軍師」と言う言葉も、そういった人たちも普通に存在した。ただ意味合いが違っただけ。 - 気を読み吉凶を占う軍配者
-
まあ、江戸初期には既に「軍師」が、今と同じような戦争参謀を指す言葉として使われているので、
おそらく戦国後期にも、そういった意味合いを持っていたと思われるが。 -
>>3
最大の功績は甲相駿三国同盟の締結でしょうか?
でも三国同盟がなければ、桶狭間も無かったわけでw
>>4-5
補足サンクス。軍師=占い師みたいな人ね。
>>6
江戸時代の藩みたいに後世広まった用語ですが、
当時でも現在とほぼ同じ用例もあったということ?
うーむ。 - 日本で軍師と言えるのは黒田如水と大村益次郎だけと親父が言ってた
-
まあ、あくまで主家に対する貢献者(功労者)って
事で良いんじゃない。小早川隆景とか鍋島直茂とか
みたいに。
ただそうなると、山中鹿之助とかも軍師って言えるか…
でも両者の違いって、勝者と敗者の違いしかないって気も
する。素人考えで申し訳ない。 -
戦国時代の「軍師」の概念うんぬんを語るとスレの本来の目的から外れそうだから、
より一般的に使われてる意味でざっくばらんに「軍師・参謀」を語ったほうがいい気がする
というわけで大友家臣、朝倉一玄を語ろうぜ
「留守の火縄」とかいう時限発火装置を城に仕掛けて敵を誘い込み爆破したというトンデモ武将 -
>>10
昔何かの小説で見てあまりのトンでもっぷりに架空の人物だと思ってたわ
ちゃんと実在するのな -
>>10
越前朝倉氏の縁者? -
>>12
多分ちがう。越前朝倉氏とは直接関係はないかと。
生没年不詳の人物で、経歴が上記の件以外は良く
わからない豊後の武将。
「留守の火縄」は実際には時限装置で火薬に着火
して、自軍が城から退去した後に炎上。丸焼けに
なった城で休息中の島津軍を撃破した計略の事。 - 真田幸村(信繁)は軍師なのか?
-
>>16
秀頼の軍師的な役割をしようとは考えてた感じはするね。
他の牢人集から総すかんを食らったようだが。 -
なんか城を造った後、祈祷のようなことをする役割もあったと聞くぞ>軍師
あの城がすぐに落ちたのは、軍師の祈祷が甘かったからとか言う逸話もある。 -
>>18
戦国も100年あるんだから、時代や地域によって「軍師」に求められる姿も変わってくる。
島津の方の「軍師」は、最後まで呪術者だったな。
中世から近世への移り変わりで最も端的なのは、人々が迷信や、超自然的なものの存在を
現実世界にまで介入できる力だとは、信じなくなることだ。 -
>>16-17
真田といっても、昌幸の七光り程度の評価だったんだっけ? -
親父が凄かっただけの紐職人にそんな発言権無いだろ。兄は敵方だし。
そんな状況で戦果を挙げたのは評価できるけど - 信長や元就、直家や元親とかは軍師・参謀は要らなさそうだな。
- 豊臣秀長は?補佐役止まりか?
-
どこの大名も調べてみると必ずと言っていいほどブレーン的な坊主や山伏などがいるお( ^ω^)
かつて坊主というのは儀礼や学問に通じる貴重な教養人だったお
おまけに寺は全国に点在するから、宗派間で情報収集が容易にできたお
だから外交には適任だし、教養の深い人になると統治政策から軍事戦略まで請け負ったお
彼らこそ今のイメージで言う軍師に近い存在ではなかろうかお( ^ω^) -
安国寺恵瓊はまさに、外交から始まって最終的に軍師というか、毛利家参謀長みたいな
存在になるな。
現場の軍人と関係を悪くして抗争は崩壊するけど。 -
>>23
九州遠征の時を見ると、指揮官としての方が適正があるような? -
フロイスは比叡山を日本最大の大学だと書いてるが、実際その通りだ。
地位も身分も金も無いが頭が良いという人間が出世する一番の道は、
当時は出家。優秀であれば各宗派の本山で修行積んで偉くなる道がある。 - 足利学校はどうかな?
-
武田信玄が、甲斐に高名な祈祷師が来て話題になったとき、「足利学校も出てないような奴
信用できるか!」って言って追放したって話があったな。 - 北条や佐竹とかは誰が軍師・参謀役だったの?
-
北条は、幻庵(長綱)が軍師格だったと思います。
幻庵の死後('89年以降)は大道寺・松田憲秀らがその都度進言したかと… - 中国的な意味での軍師だったら雪斎和尚くらいでね?
-
ああ上の方見て理解したわ
祈祷まがいのことやってたって意味の「中国的な意味か」 - むしろ祈祷・占いの類を専らとり行うのが日本の軍師じゃないか?
- 加納随天w
- 竹中半兵衛の末裔が和泉節子だもんなぁ・・・
-
>>35
「敵の大砲に婆の尻を見せれば、大砲(チンコ?)は萎えて弾が飛ばなくなるはず」
という軍師(?)の進言を受け入れて実行した軍隊もありますね。
・・・アヘン戦争時の清の軍隊ですが・・・。 -
>>36
平幹二郎かw 大河ドラマにありがちなオリキャラだったなw -
今回の長澤まさみとか、あまりにも無理のあるねじ込みに比べりゃマシマシ。
ああいう人も実際に抱えていそうだしね。
そして奴の最期のシーンは個人的に非常にツボ。 -
作戦参謀みたいなのを軍師というならいっぱいいるだろうけど
劉備−孔明のような主君と一心同体のナンバー2的軍師は雪斎・直江・鍋島くらいじゃね? -
ここに掲載されている本って読みやすいですか?
今度ここに行ってみようかと思うのですが、その前に読んでおこうかとおもいまして。 -
>>42
著者は作家で学者ではなく、史実に沿った歴史書じゃないから、
その点を注意して読めば入門書としては面白いんじゃないかな?
あなたが史学部に通うような専門家なら、お門違いでしょうが。 -
>>41
見た目では秀吉─半兵衛も入るかな。
兼続は軍師というか副官?
参謀としては確実に二流→三國志なら郭図か? -
雪斎を代表として、主君の相談役として戦略を練るという意味での軍師は僧侶が多いと思う。
当時の知識人といえば僧侶だったし。 - いつも主君の隣にいて自分の軍は持ってるけど動かさないって感じがする
- 現代の参謀は指揮権は持ってないね。指揮官を補佐するけど、自前の兵はゼロ。
-
>>47
昭和の陸海軍はその辺りがガン無視されてダメになっちゃったからなぁ… -
>>48
帝国陸海軍の場合は、指揮官が参謀の言うことを唯々諾々だったからね。
教育自体が参謀重視の偏重だったし。 -
>>49
指揮官は口を出さずに決定だけ行い、あとは責任を取るだけの存在…。
元々日本では昔から実施されている手法だけど、ココまで徹底的に暴走したケースはなかなか… - 竹中はサルの軍師なんで 信長にすれば陪臣・・・
-
竹中は織田家の直臣だっての。
寄騎として秀吉の指揮下にあっただけ。 - 竹中が秀吉の軍師話は武功夜話の中でも最も眉唾な部分
- 軍師なんて江戸時代の小説の中にしかない話をしてるのは何で?
- どんな時代でも軍師はみんなの心の中にい(ry
- 黒田とか竹中って普通に前線に出てたよね?
- 黒田竹中とも限界が来る前に消えたのがよかったな
- 小幡景憲どーですか
- ありゃ軍学者だな
-
>>59
それは後世の姿で
どっちかといえば忍びじゃね? - 黒田孝高あげ
-
宇佐美定満の末裔が徳川御三家の紀伊家に仕えてるけど、
その末裔って甲陽軍鑑の版木で儲けたり偽文書で偉ぶってる自称末裔らしいなw
紀伊家も偽者って分かってて使ってたってのも凄いけど。 -
当時も足利学校で軍師を養成していたじゃん
武田信玄も「足利学校出身者は信頼できる」と言っていたし。 -
>>63
> 足利学校で軍師
ありゃ一種の気象予報士だ -
>>64
楠木流軍学とか、教えてなかったのかい? - いずれは大河は黒田孝高にしてほしい!姫路の町おこしになる!姫路といえば黒田孝高といえば御着城と姫路城!
-
>>65
「足利」学校で楠木流とかw
正気か? - 敵対した相手は研究対象にはならんのか?
-
家族的ポジション:片倉小十郎景綱
友人的ポジション:直江兼継
職業軍人的:竹中半兵衛、黒田官兵衛 -
>>71
竹中が軍師ってのは本当か怪しいな。 - 竹中も黒田も軍師でもなんでもない。ただの寄騎武将だ。
-
>>73
黒田は与力じゃなくてれっきとした秀吉家臣、織田の陪臣じゃなかったのか? -
>>74
黒田が秀吉家臣になったのなんて、それこそ本能寺の後だろ。
それまでは信長に従った地方の国人として秀吉に与力している、って関係だよ。 -
別に与力が軍団の参謀各だっていいじゃない
羽柴家のというより羽柴軍団の軍師 - 黒田や竹中が羽柴軍の作戦立案した記録なんて一切存在しないし。
- 前野や蜂須賀の方が参謀っぽい。
-
>>77
記録する必要がなかったのかも知れんな
作戦立案はするが手柄は作戦実行者や大将秀吉のもんと -
本多正信みたいに政治面でも軍師的立場なら、常に傍にいた系の逸話とかあるだろうけど
二兵衛さんが献策するのは主に軍議の場だけだろうしなあ - 秀吉の「幕僚」ってのは、少なくとも賤ヶ岳くらいまでは蜂須賀前野と羽柴四天王の連中だろ。
- 軍師は指揮権無いから活躍の場は多くない
- 軍師短パンマン
- 立花宗茂は大坂以降は参謀っぽいな。
- ここまで朝倉宗滴なし
-
軍師と参謀を語るなら参軍も入れた方がよくね?
じゃないと指揮権と決定権、軍隊付きの有無もアレじゃね? -
個人的にこのスレは物凄い良スレになれると思うだけに
>>1もしくは>>2-10あたりでその辺の定義をきちんとしとくべきだったかなとは思う。
戦国時代の軍師と三国志の軍師の役割や仕事を一緒くたに考えてる人も多そうだし
だから誰か詳しい人仕切り直しお願い。 - 白井胤治って軍記物以外の資料に名前が出てくるの?
- 宇佐美定行って、実際は軍師ってほどの人じゃないらしい・・・
-
>>90
某小説で軍師然と書かれたから、そのイメージが
強いんだろう。信玄に勘助なら、謙信に定行(定満)
みたいな。 -
>>88
いま巷の「軍師」って言葉は、明らかに三国志演義的な「軍師」を指してるよな
諸葛亮とか司馬懿みたいな
逆に三国志でも、本来武将である周瑜や陸遜なんかも「軍師」とまとめられて混同されてる
ここは普通に「知将・謀将」とするか、
「江戸時代的意味合いで軍師と見なされる人」とあいまいに定義するか
個人的には前者がしっくりくるかなと思う -
>>90-91
宇佐美が軍師になったのは、
紀伊徳川家に仕えた詐欺師が嘘を喧伝したから。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862481264/stewartiapseu-22/ref=nosim/
紀伊徳川家も甲州流に対抗する都合上、
越後流の自称宇佐美氏の末裔を抱えておくのは好都合だった。 -
戦国期に実際に、作戦の立案、軍の運用をしたのは、軍奉行とか総奉行とか、
そういった連中らしいが。 -
某マンガの戦国三大軍師
山本勘助
北条長綱
太原雪斎 -
>>94
軍配者とか? 東郷隆だか誰かが詳しく本に書いてた気がする - 軍配者や軍師じゃなく、軍奉行とか総奉行って意味だろ
-
軍師という役職は無かったから、一般的に軍師といわれている人、
軍師とイメージされている人で良いんじゃないかな。
軍配者でも軍奉行でも良いし、そうでは無くても軍師的役割を果たした人物でも良いし。 -
戦国の軍師は祈祷師、陰陽師を指す
戦場で天気を予測、必勝祈願、戦死者の弔いが主なお仕事
命を掛けた戦いに挑むわけだから
神頼みは必然だったわけ
イカレてないとやれない所もあるし、神を信じて戦わないとやってられない - 神である信長公にそんなの必要なし
-
幻の軍師は実在した…有形文化財の信玄書状に「山本管助」、浮かび上がる人物像とは
> 県教委によると「書状は川中島合戦の作戦を先陣に伝えるためで、
> 『詳しい作戦はこの書状を届けた山本管助に聞け』と記されている」と説明する。
これを見ると山本勘助は確かに、信玄の作戦参謀スタッフの一人だったと考えることが出来るな。 - 記憶力に優れたメッセンジャーだったりして。
- 作戦全体を理解してないとその説明なんてできんよ。記憶力だけあったって意味がない。
- 「早雲の軍配者」(富樫 倫太郎)という小説は面白かった。
- 津軽にいた沼田
- 軍配者はかっこいい
-
緒方直人主演の信長大河では
随天とか言う軍配者いたよな!
信玄は自分自身が軍配者気取りだよな -
作戦参謀になるのに高い地位や知行は必要ないと思うんだよな
身分は低いのに側近として信頼されて力持ってる奴じゃないかな管助は
信長における初期の秀吉みたいな -
>>106
軍師と軍配者の役割の違いが分かり易く描かれてるね
足利学校の関東での位置付けも想像しやすいし
軍配者は武家である必要さえない
主従関係も一代限りの個人契約だから記録にも残りにくい
歴史の表舞台には出ないところが想像の余地があって面白い - 明智光秀は、軍師、参謀タイプだと思う。
-
そんな器でもねーだろ
割とオールマイティな武将なんだよ彼は - 比叡山焼き討ちあたりは光秀の献策っぽい。
-
>>38
それは占い師の進言でとちゃんと書かれていたはずですが。
中国史上だと割とそこら辺は分かれています。 - 本来の意味での軍師って角隈石宗ぐらい?
- 津軽為信の軍師・沼田祐光
- 基本合戦の時の作戦の企画立案は侍大将と足軽大将の合議
-
>>121
私の目が確かなら、4人いるハズなんだが。 -
>>125
黒田以外の三人は腐女子が喜んで食いつくよ - そうだな腐は長政ならくいつくだろうが
-
最初に軍師って言葉を定着させたのは三国し訳した人だろうけど
日本の武将で最初に軍師って言葉使われたのは竹中さんかねぇ -
どう考えても山本勘助だろ。竹中半兵衛なんて甲陽軍鑑の山本勘助ブームで二匹目のドジョウを狙って
作られたキャラにすぎん。 -
>>127
甘いな。黒田竹中セットは昔から大人気だぞ。 - 別に大人気という程でもない
- 後藤又兵衛スレで軍師語ってるのがいるのでage
- ここまで川田義朗なし
-
太原雪斎
安国寺恵瓊
宇佐美定満
甲斐宗運
北条幻庵
信長の野望のイメージだけど、ジジイ・僧侶が多いね -
政治・外交・軍事顧問みたいな感じだと古今の知識が必要で
そうなると年長者や僧侶がなるって感じかと。 - やはり軍師と言えば竹中半兵衛だろ
-
リーダー
参謀
メンバー
の構成って、人間社会の鉄板だと思う。
今の会社は参謀の人にも仕事割り振るから、
じっくり考える役割の人がいない。 -
自分の中では軍師っていえば太原雪斎かな
この人が一番中国っぽい意味での軍師な気がする -
宇都宮家の軍師
壬生徳雪斎 -
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
-
常陸の名族・小田氏治の軍師・天羽源鉄
佐竹義重・太田資正の攻撃から知略で小田を守った
小田氏治はザコ扱いされる傾向にあるが、上杉謙信と佐竹義重に挟み撃ちにされて運悪かっただけ
結城晴朝や多賀谷政経には勝ってる -
天羽源鉄は名軍師だよ。
鬼義重と互角に渡り合ったんだから。
氏治が常陸の不死鳥と称される粘りを発揮できたのも天羽源鉄がいればこそ。 -
歌会外交ができる詩才が無いと軍師とは言えない。
歌があまりに出来が良過ぎて、場の空気を変えて、遊説する連歌師や公家や秀吉が優遇してくれちゃうレベル。
連歌外交の才覚は日本では重要 -
>>144
なんせ、戦の最中も歌のやりとりしてた逸話に事欠かないぐらいだしなぁ。 -
深水長智
その才覚に感嘆した秀吉からワシに仕えろと命じられても直江兼続のように拒否した漢。
ちなみに片倉小十郎が秀吉から勧誘されたってのは仙台の捏造。
和歌を嗜んでるため、そのレベルの高さも伴って
秀吉から気に入れられ、島津に組みした際の相良滅亡を回避したどころか
相良が島津に没収された 水俣だったかの代官職に任じられたり
肥後一揆関与の疑いをかけられたときも滅亡回避させた。 -
三好長慶や信玄や
謙信が出来た武家必修の
連歌すら出来なかった信長が公家に信用されるわけがない。 -
まぁ光秀や秀吉ですら連歌が
できたから無学じゃない普通の武将なら
うまい下手は別にして誰でもできたのかもな。 -
信長の無学っぷりは異常過ぎなんだよな。
さすが鬱気と呼ばれて馬鹿にされてただけある。 -
信長は親不孝の道楽放蕩息子だからなー。
戦は家臣に己で才覚せよって命令して失敗したら改易追放をちらつかせ、
自分は欲しいものは全て召し上げでコレクション集めして京で見せびらかせて盛り上がったら、
女踊りして小姓に突かせてただけだし。
若い時に信長の相手をしたのを利家が自慢したら、
みんなが羨ましがったしな。 - 天羽入道源鉄が軍師としてNo.1
- 宇都宮家の軍師は壬生徳雪斎
-
戦国最高の軍師は天羽源鉄
小田家を救った天才 - 常陸の不死鳥・小田氏治の軍師・天羽源鉄斎の知謀はハンパない
- 芳賀高定は名軍師だと思う。
- 戦国時代の軍師は占い師です
-
明智光秀のおかげで機内統一できたようなもんだろ信長
領地召し上げで切り取り次第じゃ発狂するわな -
軍師とかいうからおかしくなる
参謀長って呼んだ方が良いんでないの -
軍監って、誰に功績があったかを見極める論功行賞の監督役にすぎないって説があれば、
その軍団の最高の決定機関って説もあってなんとも言えんのだよな
まぁようはその組織と状況によるんだろな - 戦国期の作戦の決定は、基本的には侍大将と足軽大将による合議
-
>>156
でも肝心な合戦で当たらない占い師に居場所なんて無いわけで
当たる占い師であり続ける為には
それこそ真面目に分析なり何なりやらないといけないと思うんだがどうだろう - 北信愛「ワシも入れてくれんかのう...」
-
立花宗茂所用の日月梵字軍配って軍配を見たけど
表面に金の日輪と胎蔵界曼荼羅を示す梵字
裏面に銀の月輪と金剛界曼荼羅を示す梵字
が描かれてて、上部に杏葉紋が透かし彫りされてる凝った造りだったな -
皆木和義の「1人で100人分の成果を出す軍師の戦略」なかなかよかったよ。
ビジネスに関する話題はいらんかったが。 -
>>23
秀長は大和大納言で100万石の大大名だぞ -
風林火山(ふうりんかざん)は、
甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」
(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く
、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称である
。この通称については、後述のように現代の創作と考えられている。 -
>>164
天候の読みがそこそこ当たるってだけでも、合戦には重要な情報だし
現在の占い師もそうだけど、100のうち1でも「ここぞ」って占いを当てると
残りの99外しても認められるみたいなとこもあるしね。
こう今のイメージでいうところの「軍師(参謀)」として
実際に合戦に関与した事跡がある武将ってどれくらいいるんだろう?
単に一門とかで発言権がでかかったというだけじゃなく
自身の身分はそんなに高くないけど作戦立案とかで大きく貢献があった
あるいは複数活躍があった、的な
竹中半兵衛、宇佐美定満、沼田祐光、山本勘助・・・
この辺は実像がなかったり、軍師と呼べるような華々しい活躍は皆無な気がするし
直江兼続も軍師というよりは石田三成タイプの吏僚じゃんさ -
黒田官兵衛、太原雪斎は実績もある軍師タイプの軍師じゃない?
朝倉宗滴も優秀だけど軍師というよりは軍を率いる大将かな - 太原雪斎も総大将だし官兵衛に至っては最前線の一武将でしょ
-
軍師っていうか普通に重臣だよね
(巷でイメージされる竹中半兵衛のような)録はたいしてもらってないけど
策をバシバシ貢献したみたいなのっていんのかね
あと両兵衛は脚色が多いような気がする
敵地小勢力の調略懐柔とか外交とかっていう「軍師っぽい」役割なら
秀吉の下だと蜂須賀さんの方がそれっぽい事をやっている - 誰が一番優秀な軍師だったのですか?
-
>録はたいしてもらってないけど策をバシバシ貢献したみたいなの
晩年の家康の側近だった本多親子、板倉勝重、天海、崇伝、林羅山、茶屋四郎次郎
もっともこいつらは軍事がからっきしなんで軍師というよりは謀臣かな - 本多親子以外は謀臣ですらない
- 『軍師・参謀―戦国時代の演出者たち』という本を読んだらみなさん目から鱗だと思いますよ
-
政治的な献策はしてるけど合戦の場で左右するような言を出した連中はどうなの
本多親子とかは官僚とか政治屋って感じじゃないのかね
引用元:https://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1227131695/l1000